真の立憲主義者の作法

2017年12月30日 15:00

前回、選挙活動における熱狂を省みねばならないことを記したが、平和安全法制の議論において、突如スポットライトを浴びた立憲主義についても冷静に省みるが必要である。

立憲主義を重視するならば解釈余地を問題視すべきである

民進党に所属し、私は党議拘束に従い平和安全法制に反対した。反対した理由は党執行部の集団的自衛権の行使は憲法違反だとする公式見解とは異なる。私が平和安全法制に反対したのは、自衛権発動の3要件の変更と解釈余地の大きさに根本的課題があると考えていたからである。

政府が提案した新3要件の第一に「我が国、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること。」とある。この「危険」の解釈を恣意的に行う余地が大きいのだ。たとえば、ホルムズ海峡の機雷除去や、経済危機のみを理由に集団的自衛権が発動されるならば、どんな拡大解釈も可能となり得る。首相の国会答弁で担保されるには余りにも縛りが弱い。

野党幹部は、平和安全法制は違憲であり、立憲主義違反との理由で反対していた。歴代政府は自らお手盛りの憲法解釈を過去何度も繰り返しており、もはや政府のご都合主義によって憲法、特に憲法9条の趣旨は何度も死んでいたのにである。

歴代政府の憲法解釈変更

吉田茂総理は、憲法前文と憲法9条から自衛権すら放棄すると答弁していたが、マッカーサーの方針転換によって、吉田総理の答弁は180度変わり、自衛権まで放棄せずとの方針となり、ここで初めて憲法解釈の問題が生じたのだ。鳩山一郎総理は、国会答弁において自衛隊が軍隊と言っていいものかどうか分からないとし、その後始めて自衛力なる概念を創造して自衛隊の合憲性を補強した。PKO法案に際しては、違憲の自衛隊を海外に派遣するなど論外とする論調が強く、当時野党からは、「憲法9条は死んだ」とコメントされた。周辺事態法では、武器弾薬は違憲で、給油活動は違憲ではないとする、武力行使との一体化しない後方支援なる概念を生み出し合憲性を補強した。

そして今回の平和安全法制である。

立憲主義を守れ、との批判がなされたが、概ね意味としては、「政府の恣意的解釈を許さない。」もっと具体的に言えば、「集団的自衛権を一部であっても認めるのは、これまでの解釈の恣意的変更だ」とし、集団的自衛権の一部を認める政府の解釈変更を立憲主義違反と表現しているのである。

政府はこれまでも何度となく憲法解釈を恣意的に変えており、今回の解釈変更のみを立憲主義違反と表現するのは、木を見て森を見ず、本質を看過し枝葉末節に囚われているに過ぎない。つまり集団的自衛権の一部を認めたことのみをもって立憲主義に反すると問題を矮小化してはならないのだ。

憲法典の根本的問題点

これだけ解釈が大きく変更可能なのは、もともとの憲法が余りにも文言が不十分であり、かつその後の解釈の積み重ねによって、原則がどこにあるのか、よく分からない代物になっていると考えるべきなのだ。真の立憲主義者は、憲法を整備して政府の恣意的解釈を許さない方向性を模索し行動せねばならないのであって、護憲では断じてない。度重なる大幅な憲法解釈の変更を許すのは、憲法典自体が問題だからだ。

憲法典に集団的自衛権を違憲と書いていないからこそ政府はそれを行使し得る解釈が許されるのである。もっと言えば、自衛権も書いていない。自衛権を持ってはいけないとも書いていないから解釈によって自衛権を持つとしてもよいのである。他方、戦力は持ってはダメだから、自衛力という概念を解釈によって導かなければ自衛隊は違憲となる。憲法に書いていないからこそ様々な解釈が生み出されるのだ。

憲法典を改正し、政府の恣意的解釈を抑止し、真に謙抑的な憲法典へ改正を促すことこそ、真の立憲主義者の作法と言える。その意味においては、いかなる憲法改正も憲法改悪ではないと断言する。


編集部より:この記事は、衆議院議員の鷲尾英一郎氏(無所属、新潟2区)の公式ブログ 2017年12月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は鷲尾英一郎の日記をご覧ください。

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鷲尾 英一郎
衆議院議員(無所属、新潟2区)

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