がんプレシジョン医療:入門②

2018年01月20日 06:00

親から子へ受け継がれる遺伝子多型で、がん治療に関係するものも当然

ある。有効性に関連するものとしては、乳がんの治療薬タモキシフェンと薬剤代謝酵素CYP2D6がある。これに関する研究は、相対する研究結果が多数発表されたが、結果的には、質の悪い研究がいかに真実を捻じ曲げるかを明らかにした点で、科学史として残す価値があるくらいのものだ。関連拙稿:間違い論文による患者の不利益

乳がんの80%程度は、その細胞の増殖に女性ホルモンが重要な役割を果たしている。女性ホルモンがその受容体と結合すると、細胞が増殖(分裂)する命令を出す。タモキシフェンは、ホルモン受容体に結合して、受容体の有する増殖刺激を抑え込む性質を持っている。しかし、これだけでは、この薬剤の働く仕組みは十分ではない。患者さん自身の肝臓の中で、タモキシフェンが、CYP2D6という酵素によって変化を受けてエンドキシフェンと呼ばれる物質に変化を受けて(下図参照)、初めて薬剤としての効果を発揮する。タモキシフェンとエンドキシフェンでは、受容体に結合する力が100倍違う(エンドキシフェンのほうが高い)。

したがって、エンドキシフェンを効率よく作ることができない患者さんは、タモキシフェンを服用しても効果が不十分となる。タモキシフェン治療だけを受けている乳がん患者さんで比較すると、この酵素の働きは低い/ない患者さんでは、死亡率が有意に高かった。私の研究室に在籍していた前佛均さん(現在、がん研究所プレシジョン医療研究センター)は、CYP2D6の機能が下がっている(と考えられる遺伝子型を持つ患者さんに対して全くない場合は難しい)、タモキシフェンの増量で対応できる結果を示しているが、このような情報は全く拡散されていない。少しの工夫で医療の質を上げることができると思うのだが、簡単なようで難しい(その理由は、「がんプレシジョン医療」シリーズの最後の方で話をしてみたい。1回に少しずつ書いているので、最後まで書き綴ると何回分になるのか、自分でもわからない。頭の中で整理している感じでは15-20回と言ったところか?もっとわかりやすい図を加えて、本として出版してくれる会社があればウエルカムだ)。

また、副作用と関連することで、すでに臨床応用されているのが、UGT1A1という酵素の遺伝子多型である。この酵素は。イリノテカン(抗がん剤)にグルクロン酸を付け加える働きがあり、それによってイリノテカンの働きを失わせる。したがって、この酵素の働きが弱ければ、イリノテカンは血液内で高いレベルで維持され(濃度が高くなり)、副作用が強く出てしまうのだ。このUGT1A1の働きが弱いと考えれれる遺伝子型を持つ患者さんへは、イリノテカンの投与は望ましくない。

「がんゲノム医療」では、がんで起こった体細胞変異(後天的にがん細胞で生じた遺伝子変化)に焦点が当たっているが、親から子へ受け継がれる遺伝子多型は、薬剤の効果や副作用に影響するし、もちろん、いろいろながんのリスクにも関連する。さらに、家族性乳がん・卵巣がん、遺伝性の大腸がん(家族性大腸腺腫症や線腫症を伴わない家族性大腸がん)などに代表される遺伝性のがんに病因となる遺伝子多型(遺伝子変異)も重要だ。

いずれにせよ、薬剤を投与した場合の患者さんは、効果・副作用によって下記の4群に分類される。もし、遺伝子情報だけでなく、いろいろな指標で効果や副作用がある程度の精度で予測できるなら

効果(+)副作用(-) 薬を投与すべき

効果(ー)副作用(-) 薬を投与すべきでない

効果(-)副作用(+) 薬を投与すべきでない

の判断は非常に明確だ。毒性の強い抗がん剤の場合、効果(-)副作用(+)のケースも少なくなく、これが、何が何でも「抗がん剤拒否」という日本の異様な文化を醸成してきた。国の中核機関が、「抗がん剤は毒にしかならない」という一部医師の非科学的コメントに何の手も打たなかったことも、大きな要因の一つだ。

現実的には、多くの薬剤では、効果(+)副作用(+)の状況だ。このような場合、効果と副作用のレベルは個人差があるので、一概に判断を下すことができない。効果が副作用より大きいなら、投与した方がいいのであろうが、効果/副作用の比が重要だ。代わりとなる薬剤があるかないかによっても、この判断は変わってくる。プレシジョン医療の最終的な目標は、個々の患者さんに対して、この効果/副作用比を予測するシステムの構築と、それの臨床現場での実用化である。

一部の医師や研究者が最重要視している臨床試験で得られた「エビデンス」の大半は、薬を投与したグループと薬剤を投与しなかった(別の薬剤を投与された)グループの比較である。「個」を重要視しているプレシジョン医療の時代には、彼らの信ずる「ランダム化比較試験」の概念だけでは通用しないのである。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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中村 祐輔
シカゴ大学医学部 内科教授、外科教授

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