反ユダヤ主義という「幽霊」が出る

話は前日のコラムの続編となる。オーストリア極右政党「自由党」主催のアカデミカー舞踏会が26日夜、ウィーンのホーフブルク宮殿で開催された。舞踏会は毎年開催されるものだが、今年は少し違う。野党生活に甘んじてきた自由党がクルツ国民党の連立政権に参加したのだ。与党入りした最初の年ということで、主催者側の自由党幹部も意気込みが違っていた。少なくとも、ハインツ・クリスティアン・シュトラーヒェ党首ら党幹部たちには政権入りを果たしたという充足感があったはずだ。ところが、前日コラムで報告したが、あの幽霊(亡霊)が再び動き出したのだ。ナチス・ドイツという幽霊だ。

▲反ユダヤ主義を厳しく批判するシュトラーヒエ自由党党首(2018年1月26日、FPO公式サイトから)

▲反ユダヤ主義を厳しく批判するシュトラーヒエ自由党党首(2018年1月26日、FPO公式サイトから)

ナチス・ドイツの幽霊が出現すると必ずと言っていいほど、欧州各地から極左職業活動家が集まってくる。彼らはデモに参加した後、市内の商店街に繰り出してフェンスを壊すなど蛮行を繰り返すのが彼らのメニューだったが、今年は幸い、目立った衝突や蛮行は報告されていない。ウィーン市警察当局の情報では、デモ参加者数は約8000人、デモ対策のために動員した警察官数は約3000人という。

ところで、幽霊(亡霊)にもさまざまな出自がある。その中で有名な幽霊といえば「共産主義という幽霊」だろう。カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスはその共著「共産党宣言」の中で、「 ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊だ」という有名な台詞を発した。それに次いで欧州で囁かれている幽霊は「ナチス・ドイツの幽霊」だ。幽霊の出自は異なるが、一つ共通点がある。それは「幽霊は死なず」ということだ。

シュトラーヒェ党首は自由党をその幽霊から解放し、「政権担当能力のある政党」を実証するために懸命に腐心してきた(これはあくまで表面的にはそう見える)。

同党首は、「反ユダヤ主義者には自由党内にもアカデミカ―無踏会にもその場所はない。ホロコーストの犠牲者に対し、われわれは今もそして将来も義務と責任がある」と強調している。これほど明確な宣言はないだろう。その一方、前日のコラムで紹介したが、自由党内やシンパの中には旧ドイツ国家社会主義労働者党(ナチス)に共感する者が少なくない。ユダヤ人を殺害するように呼びかける歌集が作られていたのだ。

自由党内に通じたジャーナリストは、「シュトラーヒエ党首が政権入りして、国民党に妥協したり、自由党の政策を放棄するようなことがあれば、自由党の分裂をもたらした“クニッテルフェルドの乱”を再現するかもしれない」(オーストリア代表紙プレッセ1月27日)と予想している。

今年はヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合(Anschluss)80年を迎える。アドルフ・ヒトラーが率いるナチス政権は1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史がはっきりと物語っている。

オーストリアはドイツに併合され、ウィーン市は第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害していった。その蛮行は旧ソ連赤軍によって占領されるまで続いた。

ネオナチと呼ばれ、ナチス・ドイツに共感する自由党員やそのシンパはナチス政権に直接関わった者はほとんどいない。すなわち、ナチス・ドイツの戦争犯罪をまったく知らない世代だ。
実例を挙げる。アウシュヴィッツ強制収容所があったポーランドでは今なお反ユダヤ主義が強いが、同国内にはもはやユダヤ人はほとんどいない。にもかかわらず、ユダヤ人への憎悪が席巻しているのだ。この現象をどのように説明できるだろうか。

アカデミカ―無踏会に参加する青年たちは手に灯りをもって会場入りする。その姿をみて、「オーストリアに幽霊が出る。反ユダヤ主義という幽霊だ」という台詞が飛び出してきた。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年1月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。