保育や介護の悪平等と施設偏重を見直せ:平成カウントダウン④

2018年01月31日 06:00

日本人の生活や公共政策をみて「非常な疑問だ」と思うのは、コスト無視で公共施設に頼ることが年々ひどくなっていることだ。しかも、施設におけるサービスと安全度が異常に高くて、自力で子育てや介護をするのが嫌になるほどであることだ。

消費税も増税せずに、こんなかたちで、社会保障負担を手厚く、また、自力救済をする気をなくさせてはどうなるのか心配だ。

「待機児童ゼロ」というスローガンも合理性を欠く。子供を安価で保育所に預けられることを容易にし、施設の質や、保育の時間や質を改善すれば、これまで自分で子育てしてきた人も預けるようになるからきりがない。

保育士の給与が安いというが、保育料が安いから当たり前である。コストを反映した保育料を払ったら、なんのために働いているか、わからないような収入の人までが預けるから保育料を安くせざるを得ないのである。

病院や学校、福祉施設でまれに事故が起きたり、建物が焼けたり壊れたりしたら、大騒ぎで責任を設置者は問われる。だが、自宅にいても起きる程度のリスクはあってよい。自宅ならば耐震補強をしなくてもいいのに、公共施設では過度な補強が必要というのも合理的ではない。

私は子育てなら、子ども手当とか税率控除を思い切って手厚くして(ここのことを前提に私は議論しているのでくれぐれも勘違いしないようにお願いしたい)、あとは、個人がそれぞれの選択で、施設に預けたり、自宅で有料サービスを利用する、誰かに頼む、自分で面倒を見る-などの選択することを基本とすべきだと思う。工夫するより、預けた方が得だということになってはいけない。

また、公共施設も価格によってサービスの差を付けるべきだ。

クルーズ客船で、価格によって部屋や食事、施設使用に差があっても問題は起きていない。教育や医療に富裕者が多くの支出をして、高いサービスを求めることが悪であるはずがない。大都市の中心部では、サービス価格を地方より高くすべきだ。国会議員会館や霞が関にある超豪華なバカ安保育所などヤミ給与だと思う。

もちろん、節約することが子供や高齢者への虐待になったり、社会的損失につながることは困る。例えば、公教育の質は維持されるべきだし、育児放棄なら強制的に施設に入れて子ども手当から徴収するようなことも必要だ。要はバランスだが、日本は悪平等に傾きすぎだ。

大事なことは、国民が自分自身で工夫し、それぞれにとってコストパフォーマンスの良い子育て、医療、介護などを実現することだと思う。経済的に余裕がある人が、質の高いサービスを求めて支出することで、給与が高い新しい雇用も生み出されるのである。 

※この原稿は夕刊フジに掲載したものをもとに大幅に加筆したものです。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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