厳寒のシカゴで「愚者の選択」? 6月で大学を退職

シカゴは寒さと雪が続いている。日曜日にシカゴに戻ってからゼロ度を上回る日がない。そして、帰国直後から、疲れからか、体が重く、頭も働かず、4日間ほど寝込んでいた。これほど体が重く感ずるのは、シカゴに来て初めてだ。それでも、仕事は蓄積してくるので、体に鞭打ってこなしている。

日曜日に放映された「賢者の選択」はリンク先で見ることができるようになっているが、まだ、見ていない。自分の登場する番組は、見るたびに反省だけが残るので、次第に恐ろしくなって見ないことが多くなった。あのように言えばよかったとか、こうすればよかったとか、いつも後悔していた。今回も、見ると落ち込みそうで、小心者の私はなかなかクリックできない。

収録番組では、実際に番組で流される2倍、時によっては3倍くらい録画され、最終的には番組の担当者によって切り取られる。素晴らしい編集者がいる半面、こちらが言った意図を歪めるような編集になることもある。特集番組などでは、2時間が2分しか利用されないことも少なくない。私の部下の多くがテレビに出ると実家に連絡したが、まったく放送されず、翌日落胆して出勤してきたことがある。収録時に「この場面は大事です」という嘘は、テレビ業界では許されるものらしい。医師がこんな無責任なことを言えば、つるし上げられるが、大手のテレビ局は何でもありだ。私もビートたけしの番組に協力した時、たけしが収録中に不用意な発言をして(詳細は教えてもらわなかったが)、私の部分が完全にカットされたことがある。何時間かけて協力しても、電話一本でお払い箱だ。

そして、この忙しい中で、アポイントメントを取っておいたシカゴ大学の上司に、「6月一杯でシカゴ大学を辞める」と報告した。遅くとも1ヶ月前に告知すればいいことになっているが、いろいろと進行中の計画もあり、ギリギリになって迷惑をかけるのも申し訳ないのでこのタイミングで報告した。ネオアンチゲン療法の提唱者である仲良しのHans Schreiber教授と奥様からは、「ぽっかり穴が開いたようで寂しい」とのメールが来て、メールを読みながらウルウルしてしまった。彼との議論を通して学んだ事は最大の収穫だ。口角泡を飛ばしてのやりとりは、本当に有意義だった。私が出会った研究者の中で、もっとも純粋な気持ちの研究者だと思う。

シカゴ大学で宣言したものの、日本で戻る場所が正式に決まっているわけではないので、ここで報告はできない。ひょとすると7月以降は定職がない事態もありうるが、出たとこ勝負だ。1年位前から、いろいろと考えていたのだが、決断の最大の理由は、日本のがん患者さんのために、もっと直接的に貢献したい気持ちが強くなってきたことだ。シカゴ大学は定年がないのに、どうしてかとも聞かれたが、募ってきた気持ちを抑えることができなくなってきた。がん患者さんに貢献できる場所があれば、東京でも、大阪でも、いわきでも、どこにでも行きたい。

この6年間、シカゴにいても、多くのがん患者さんや家族の声が日本から届いた。メールを読んでいて、胸が張り裂けそうになる時もあった。子を思う親の気持ち、親を思う子供の気持ち、連れ合いを思う嘆きの声、「がん難民」はたくさんいるのだ。日本にいたとしても、何もできなかっただろうが、少なくとも直接声をかけることができたかもしれない。ありがた迷惑かもしれないが。

何らかの貢献をしたいと思いつつも、現実的には何もできなかった。がん患者さんのために自分に何ができるのか、何度も自分に問いかけ、天国にいる母親のお告げを聞こうとした。そして、ここに至った。この決断は、「賢者の選択」ではなく、「愚者の選択」に終わる可能性もある。人もいない、お金もない状態から立ち上げるのはとっても大変だ。シカゴに来た時、ここで学ぶことによって、より多くのがん患者さんに貢献できると思った。そして、多くのことを学んだが、日本でもっとがん患者さんに貢献できる道を探したいと今は思う。

政治力も、影響力もない私だが、一人でも、二人でもいいので患者さんに寄り添って希望を提供できる存在になれば良いと願っている。そして、日曜日から、また、日本に向かい、5日間滞在する。体は重いが、気持ちは前を向いている。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年2月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。