「発言」を翻すシュルツ独社民党党首

独社会民主党(SPD)のマルティン・シュルツ党首(62)は7日、メルケル首相が率いる「キリスト教民主同盟」(CDU)とゼ―ホーファー党首の「キリスト教社会同盟」(CSU)との大連立交渉で合意した直後、本人は社民党党首を辞任し、外相に就任する意向を漏らしたが、その2日後(9日)、「外相に就任することを断念する」と表明した。

▲党大会で演説するシュルツ党首(2017年12月7日、独民間放送の中継から)

▲党大会で演説するシュルツ党首(2017年12月7日、独民間放送の中継から)

シュルツ党首は昨年3月、党首に就任して以来、揺れに揺れてきた。「何が?」というと、その言動だ。その責任はやはりシュルツ党首の指導力、決断力の欠如にあることはいうまでもない。

シュルツ党首は5年間、欧州連合(EU)の議会議長を務めてきたが、ベルリンからの要請を受け、社民党に戻った。そして3月19日、ベルリンで開催された臨時党大会で100%の支持(有効投票数605票)を得て党首に抜擢された。100%といえば、共産党政権や独裁政権下の投票では常だが、民主社会の政党で100%の支持は考えられない。社民党がどれだけシュルツ党首に停滞する党の刷新を期待していたかが伺える。換言すれば、シュルツ氏以外の他の選択肢が社民党になかったともいえる。

ただし、シュルツ党首の好運はそこまでだ。その後実施された3州の議会選(ザールランド州、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州、そしてドイツ最大州ノルトライン=ヴェストファーレン州)でシュルツ党首のSPDはことごとく敗北を喫した。しかし、弁明はできた。州議会選は州の政治状況が強く反映する戦いだ。新党首がその流れを変えることは難しい。そこで社民党は9月24日の連邦議会選に期待したが、得票率約20・5%と党歴代最悪の結果に終わったのだ。ここまでくると、社民党内で「シュルツ党首では選挙に勝てない」といった呟きが聞かれ始めたわけだ。

ちなみに、連邦議会選後の10月15日、ニーダーザクセン州で州議会選が行われ、社民党はかろうじて勝利し、シュルツ党首は就任初勝利を飾ったが、連邦政治レベルではあまり意味のない州議会選であったこともあって、その喜びは限られていた。

連邦議会の敗北直後、シュルツ党首は「社民党は党の刷新のために野党に下野する」と宣言した。一方、CDU/CSUは、社民党との大連立の目がなくなったことを受け、「同盟90/緑の党」と「自由民主党」(FDP)のジャマイカ連立政権の発足に向かった。連立が成立するかと思われたが、リンドナーFDP党首が11月19日、「党の信条を曲げてまで連立政権に参加できない」と宣言し、ジャマイカ政権発足はその瞬間、消え去ってしまった。

連立政権のパートナーを失ったメルケル首相が少数政権を発足させるか、選挙のやり直しかの選択を迫られた時、社民党出身のシュタインマイヤー大統領は社民党を説得し、大連立政権交渉が実施される運びとなった。
シュルツ党首は「野党に下野する」と主張してきた手前、その決定は苦しかったが、「政治空白が長期化することはドイツばかりか、欧州にもよくない」として大連立交渉に応じることになった経緯がある。

大連立交渉では、シュルツ党首は「自分はメルケル政権下に入る考えはない」と表明し、いかなる閣僚ポストにも就任しないと強調したが、合意成立直後(2月7日)、「党首を辞任し、外相に就任する」と漏らした。そのシュルツ党首が9日、今度は「外相に就任しない」と語ったのだ。

以上、シュルツ党首は過去1年間で少なくとも3度、自身の発言を覆している。「野党に下野する」から始まり、「外相に就任」、そして「外相に就任しない」の3回だ。シュルツ党首の発言は信頼できない、という声が党内で出てきても不思議ではない。

当方はシュルツ党首の言動を擁護する考えはないが、欧州の政界が右傾化する時、社民党の刷新は誰が指導者となっても大変な職務だ。特に、シュルツ氏の場合、ブリュッセルからベルリンの政界に戻り、社民党内に基盤がなく、孤軍奮闘せざるを得なかった。その上、党内の空気を読むことが難しかった。

例えば、外相就任問題でも前党首で現外相のガブリエル氏が大連立交渉中にメディアを通じて外相ポストを続けたい希望を吐露していた。だから、シュルツ党首が突然、党首を辞任し、外相に就任する考えを表明した時、ガブリエル氏は非常に不快な表情を浮かべていた。

シュルツ党首は停滞する社民党の刷新のためにベルリン入りした直後は“党の救い主”のように歓迎された。しかし、時間の経過と共に、党内の空気が読めない決断力のない党首のように受け取られだした。過去1年間余りで社民党内のシュルツ党首評価は180度変わったわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年2月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。