音喜多VS川松「政治家ブログ論」

2018年02月23日 06:00

音喜多、川松両氏公式写真より

アゴラでもおなじみ都議会自民党、川松真一朗さんがプレジデントオンラインへの寄稿で、かがやけTokyoの音喜多駿くんのブログ発信のあり方を批判したことがネット上で話題になっている。

日本を滅ぼす”ブロガー議員”に伝えたい事 議会質問は根拠薄弱な臆測ばかり:PRESIDENT Online – プレジデント

そして音喜多くんも呼応してきた。タイトルからして軽妙にリターンを打ち返している(しかも本記事の予約投稿セット後に…汗)。

ついに日本を滅ぼすほどの力を持ってしまったので、政治と情報発信のあり方について考察してみた

数多くの政治家ブログとお付き合いさせてもらっている言論サイトの編集長として、いずれも興味深く拝読した。おかげさまでアゴラはお二人の活躍もあって、最近は、与野党の国会議員、中には党の要職経験者も含めて執筆陣入りの売り込みも相次ぐまでになってきた。お節介ついでに、この際、私なりの「政治家ブログ論」を少々述べてみたい。

見たまま聞いたままの「音喜多流」VS 花開くまで我慢の「川松流」

音喜多くんは初当選から5年間、ブログを毎日更新。政治に詳しくない若い世代をメインターゲットにわかりやすい語り口と徹底した情報公開の姿勢で発信することで、かつては国政よりも注目度が著しく低かった都政や都議会のことを身近にしてきた。都知事選以後の彼のブレイクは、あらためて語るまでもないが、川松さんは都政担当の記者が、音喜多ブログを端緒に取材していることに対し、苦言をしている。特に情報の出し方について、川松さんの音喜多くんとの価値観の違いが印象的だ(引用太字は筆者)。

私も日々の政治活動についてブログに書いています。しかし、私は水面下で作業を進めていることについて書かないと決めています。これは議員活動の情報公開を否定しているのではありません。単純に、表に出せるタイミングまで待っているだけのことです。メディアの世界では、一番先に事実を公にした人が褒められるのでしょうが、物事を円滑に進めようとする立場になれば、そんなことはできません。

大きなプロジェクトであればあるほど水面下での交渉は難航するものです。裏を返せば本質的な提言は日々のブログには記しづらいものです。私にとっての政策とは「大事に蒔いた種に丁寧に水を撒いて開花させる」ことなのです。

音喜多氏は見たり聞いたりしたことをすべて公開しているように見受けられます。それでは周囲の信頼を失うだけで、政治家の本分である政策実現は遠のくだけです。

「政策実現してなんぼ」の与党型 VS 「注目を集めてなんぼ」の野党型

私もアゴラや個人会社のコンサル業を通じて与野党数多くの政治家のブログ発信のアドバイスをさせてもらってきたが、川松さんの指摘は、自民党的な保守政治家のブログ観を象徴しているように思う。情報発信についてTPOを留意し、戦略的に仕掛ける。毎日ブログを発信しまくる音喜多くんの志向が「量」であるとすれば、川松さんは「質」。川松流に則れば、政治家の目的は、あくまで政策の実現であり、ブログは手段と言うところだろう。

一方、この「見たり聞いたりしたことをすべて公開」という音喜多流への批判は、彼と仲がいいんだか悪いんだか分からない謎の盟友、宇佐美典也くんもしばしば指摘してきたことだ。このあたりは、川松さんが国政与党(小池都政では野党)の都議会議員、宇佐美くんは経産官僚OBということで、「政治行政に携わるものは政策を実現させてなんぼ」という自負が強いことがうかがえる。

私も、どちらかといえば保守本流の新聞社にいたので、お二人ほどではないが、政策に対してリアリズム志向のほうだろう。実際、自民党や、与党時代の民主党にいた野党議員らとお付き合いするようになり、「種を蒔き、芽を育て、花を咲かせる」までグッとこらえ、人知れず汗を流す姿を知ると、「究極の社会起業家」ともいえる存在の尊さを感じる。

一方で、川松さんには恐縮だが、音喜多流に不満があるのは、カルチャーの違いがあると感じる。音喜多流は与党政治家としてのお振る舞いであれば「赤点」だが、与党や行政機構を追及するのが役目の野党政治家としては異色ながら抜きん出た存在といえる。

もちろん、豊洲問題の結果責任を考えると小池さんを諌められなかったことを含めて重大だ。ほかにもベビーカー騒動などのミニ炎上も散発している。私に直接メンションしてきたあるツイッター民のように「成長が見られないし自分の発言に対して無責任」と指摘する声や、わざわざブログを書いてまで川松さんの意見に同調し、「ブログのために政治があるわけではない」などと非難する者もいるなど、相変わらずのアンチの多さだ。

ただし、舛添前知事のスキャンダル前には、都民の多くもマスコミも都政に目を向けていたとは言えなかった状況は想起したい。議場内の政治的力学だけでは勝てないのは野党政治家の宿命であり、ゆえに世論喚起の必要があり、「政策を実現するにも、まずは有権者やマスコミの注目を集めてなんぼ」という価値観になるのだろう。

与党型、野党型それぞれのイノベーション

ただ、音喜多ブログが従来の野党政治家とも違ったのは連日連夜、エントリーを続ける持続力。そして政治家が、ネットを通じてある問題に火をつけて、マスコミやリアル社会も燃やしていくという世論形成のフローを完成させた点だ。そういう意味では、政治家ブログの社会的影響力を押し上げた「イノベーション」だった。

これは以前、拙著『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス新書)でも書いたことだが、ネットは煽り気味に書いたほうが注目は集めやすいので、どうしても野党的な追及型のほうがフィットはしやすい。国政の自民党でも河野太郎外相のブログが面白いのは、ときに野党の政治家と見紛うほど、行政改革などで歯に衣着せぬ物言いがあったからだ。

「革命は常に辺境から始まる」という毛沢東の格言は、政治家のネット発信にもあてはまるもので、野党の、それも都知事選突入時は3人の弱小勢力に過ぎなかった音喜多君が情報戦のゲームを作り変えた。そして今度は自民党で育った川松さんが先輩議員よりいち早くその新しいゲームの潮流を捕捉。この点は音喜多君が反論記事で書いたのには私は異論があり、川松さんは古い世代ではない。ブログから小池都政に対するカウンター世論を作り、先の都議選では103票差で生き残るなど、これまでの都議会自民党にはなかったプレイヤーとして存在感を高めている。川松さんなりに自民党的な土壌からブログイノベーションを起こそうとしている。

“北斗” VS “南斗” で都政への注目喚起を

そういう意味では2人の政治家の立ち位置、価値観の違いを、アゴラの読者には今後も注目いただければと思う。漫画にたとえると『ワンピース』世代(?)の音喜多君には通じないかもしれないが、『北斗の拳』リアルタイム世代の私からみれば、さながら愚直に一子相伝的な伝統を重んじる川松流が“北斗神拳”で、華麗に多種多様な技を繰り出す音喜多流に“南斗聖拳”を想起してしまう。(まあ、「音喜多流」は南斗聖拳の主流派ではない“南斗流鴎拳”あたりかもしれないが…笑)

先ごろ音喜多くん自身がブログでも嘆いたように、都政のメディア露出量が「小池以前」の時代に回帰しようとしている。しかしオリンピック・パラリンピック準備、市場問題を含め、都政の重要性に変わりはない。お二人による“北斗神拳”VS“南斗聖拳”バトルを筆頭に、今後もネットからリアル世論への喚起、熱い政策論議を期待したい。

なお、冒頭の「川松論文」は実は音喜多流に対してだけでなく、都政報道に対する建設的な批判でもある。このことについては、また機会をあらためて触れてみたい。

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新田 哲史
アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長/NPO法人ICPF 情報通信政策フォーラム理事

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