「宗教」と「メディア」は案外似ている

2018年02月28日 11:30

「宗教」と「メディア」は全く別分野であり、時には対立関係に陥ることもあるが、実際はよく似ている。宗教は「これこそ真理」と宣布し、信者たちにその教え(よき知らせ)を伝達する。一方、メディアは「正しい報道」、「客観的な報道」をキャッチフレーズに読者に真実を伝える媒体であると自負している。

▲ミケランジェロの「最後の審判」

▲ミケランジェロの「最後の審判」

宗教の真理とメディアが報じる真実ではその対象が異なるが、「正しいことを伝える」と考えている点で酷似している。その正しい内容の受け手は宗教では「信者」であり、メディアでは「読者」、「視聴者」だ。信者も読者、視聴者も自分が今、読んでいる内容、見ているものが間違っているとは通常、考えない。

ちなみに、不動産王のドナルド・トランプ氏が第45代米大統領に就任して以来、「フェイク」という言葉がメディアの世界で頻繁に聞かれる。「大統領の言っている内容は事実ではない」とか「大統領の発言はフェイク情報だ」といった指摘がメディアの世界でよく囁かれる。特に、リベラル派のメディアはトランプ氏の発言やツイッターから間違い探しに奔走する。あたかも、誤報が真実より大切というばかりにだ。

宗教とメディアで異なる点は、メディアは速報を重視する。どのメディアが先に報じたかを重要視する。一方、宗教では速報性は余り重視されない。むしろ、急変する時代にあっても変わらない内容を売り物にする。
ただし、ソーシャル・ネットワークの時代に入って、宗教界でも次第に速報性を大切にし始めた。世界最大の宗派、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王はツイッターを駆使し、インターネット礼拝はもはや珍しくなくなってきた。

オーストリアのカトリック週刊誌「フルへエ」(Die Furche)とのインタビューの中で、ドイツの著名な宗教哲学者ハンス・ヨアヒム・へ―ン氏は、「自身がそうあってほしい、そう感じていることと一致するものを真実と受け取る傾向がでてきた」と指摘し、「Wahrheit der Stimmungen」(雰囲気やその場の空気が生み出す真理)と呼んでいる。
参考までに、欧米社会で席巻するポピュリズムとは、その時代の願い、考えを一早くキャッチし、その風の流れを加速させる言動をとることを意味する。

近代法王の中でも最も神学に精通したローマ法王、ドイツ人のベネディクト16世は「価値の相対主義」を頻繁に警告しきた。宗教は「価値の相対主義」には批判的だ、なぜならば、自身の信仰が唯一正しいと信じているからだ。カトリック教会の「真理の独占」という教理に通じる。その是非は別として、その主張には一貫性がある。一方、リベラルなメディアは表面上は価値の相対主義を支持する。それが寛容な姿勢だと考えるからだ。しかし、自身の報道が常に正しいと信じているから、一種の自家撞着に陥るケースが出てくる。

カナダのトロント大学ジョルダン・ピーターソン心理学教授は、「世界は物体からでも、観念からでも成り立っているのではなく、信じることから始まった」という趣旨の内容を語っていた。宗教は「信じること」が生命線だ。一方、価値の相対主義が席巻する社会では、メディアは寛容な姿勢を装いながら、自身の報道内容が正しいと信じている。現代のメディアは宗教の世界に案外、似ているのだ。もう少し説明すると、メディアに従事するジャーナリストが特定の政治信条のミッショナリー( missionary、宣教師、伝道師)となってしまうケースが見られることだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年2月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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