「スポーツ馬鹿」問題は日本の縮図である。

2018年03月04日 09:00

「スポーツ馬鹿」の発言力が大きいわけ

清谷信一氏の記事はっきり言おう、“スポーツ馬鹿”は文字を書くなを興味深く拝読しました。ここでも部活動とその顧問は嫌われています。しかし、部活動廃止反対派の教師の発言力は強いです。それは彼ら「スポーツ馬鹿」で「体育会系」で「部活に熱心」(以下これらの言葉は同義として使います)な人たちは、ある面で学校の秩序を維持しているからです。不良たちと渡り合うその「人間力」「精神力」には並の教員には太刀打ちできません。そのため、「体育会系」教員の「人間性」に頼った学校経営ではなく、「しくみ」「制度」で学校の秩序維持ができるように議論しなくてはならないのではないか、教育改革でカリキュラムをいじるより、前者のほうがはるかにクリティカルな問題ではないかと再三申し上げております。

けれども、これは由々しき問題ですが、学校だけの問題ではないと思います。

 

それでも「体育会系」は重宝される

企業でも「体育会系」は重宝されます。企業の採用における「体育会系」枠も健在でしょう。これは上意下達を重んじる日本企業ではとくに重要な資質です。一方、重大な局面で企業の「進路変更」ができないという悪弊も目立ってきています。けれども、「体育会系」の人たちの発言力は大きく、並の社員では太刀打ちできませんし、現状維持においてはたしかに「成績」も残しています。

このように日本社会は「惰性」と「精神力」によって回っています。「スポーツ馬鹿」は日本の停滞の縮図と言えましょう。昨今の未曾有の人手不足で、この日本の暗部にメスが入ることを祈ります。

「スポーツ馬鹿」は日本の伝統

1944年5月、東条首相は陸軍航空士官学校を抜き打ち視察した際、生徒を捕まえて敵機は何で落とすかと訊ねました。生徒が「機関銃で」と答えると、東条は首相、「違う、敵機は精神力で落とすのである」と述べました。

「一億玉砕」この頃と精神構造は変わっていないのかもしれません。最近の「一流」製造企業の不祥事を見るにつけ、「スポーツ馬鹿」は日本の伝統で、その伝統は平成が終わろうとする現在でも超克されていないようです。

清谷信一氏は、「スポーツ先軍主義が我が国の知的リソースを食いつぶしている」と落胆を隠していませんが、「スポーツ先軍主義」は、わが国の生産性の低さ全般にも大きく影を落としていると思います。

これは学校化する社会 会社化する学校と言えます。学校(部活)も変わらなくてはなりませんが、それと同時に社会(会社)も変わらなくてはならないでしょう。

伊調馨さんのレベルの選手ですら、「スポーツ馬鹿」の被害にあっているのだから、この問題はほんとうに根深いよね。

中沢良平(元小学校教員)

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