選択の余地のない選択肢で子どもたちに迫ってしまう

2018年03月05日 06:00

ある日の小学校の教室での朝の会。
昨日、友だちとのトラブルから怒って教室から飛び出していったAさんが進行役。
ここんところ、感情が揺れて教室を飛び出していくことが多いので、今日の役割が成功体験になるといいなあと思いながら見ていた。

Aさん、出てきた課題をみんなの意見を拾いながら、いい感じでにこやかに司会していた。ああ、Aさんにとって自信になる場面だなと思って見ている。

15分が過ぎ、1時間目の始まりの時間が来てしまったので「じゃあ、続きは明日やろうね。」と担任が打ち切り1時間目の算数を始めようとした。

するとAさんが怒り始めた。
「あと少し時間があったら決められたのに!」
「でも授業時間始まっているでしょう。」
「もう少しで決まるのに!」
「時間だって言ってるでしょ!やるなら一人でやりなさい!!」
Aさんは椅子をバーンと蹴った。
結局算数に参加せず、ずっと怒っていた・・・

なぜ切りかえられないのだろう。せっかくの成功体験をAさんが自分で台無しにした!

担任も怒りが収まらない。まったくAさんってそういうところがあるんだから!

*  *  *

これをAさんの自分勝手と思うのか、担任の問題と思うのか。
すみません、これぼくの10年くらい前のエピソードを基にした事例です…

Aさんの中で何が起きていたのか、何を感じていたのかではなくて、

ぼくが進めたい方向で進めてしまう。
「やるなら一人でやりなさい!!」
逃げ道のない、選択の余地のない選択肢を示して追い込む
このアプローチをなんとかしなくちゃいけないとわかっているのに、感情でつい反応してしまう・・・そんなことが何度もありました。情けない限り…

自分の中に暗黙の「こう動いてほしい」がある。
「そうできるはずなのにしていない!」とイライラして、「じゃあもういいよ」的な言動で、相手の動きを誘発させようとする。

そういえば初任の頃、こんな残念なこともあった。

係活動で似たようなことがあった。
「一生懸命にやらないなら、もうやらなくていい!」
子どもたちが「ごめんなさい!」と謝りに来たのを「いいぞいいぞ」とほくそ笑み、その顛末を学級通信に書いたりしていた。冷や汗が出る。

学級での話し合いの時も。任せていると口で言いながら、
「もっと意見言ってもいいんじゃない?」
「もっと真剣でもいいんじゃない?」
と思っているのが顔に出る。毛穴からでる。時には口にしてしまう。
うまくいかなさは、たいていぼくが環境設定をしくじっているのに、勝手なぼくの思い込みなのに、そんな雰囲気をつくることにぼく自身が影響しているのに、そもそもうまくいかなくていいのに、参加者のせいにしているのだ。

大人の場ではありえないのに、子どもにやってしまう残念さと横暴さ。

先生(大人)の「イライラ」は、このような「勝手な期待」に起因することがある。
勝手に欲張って「ここまでいける」を設定し、それにいかないとイライラする。
そもそもの心の置き位置を間違えてしまう。

子どもの側からそこで起きてることを見直してみる。

体験してみる。

その場で何が起きて何を感じているのか。
大人がしたいこと、してほしいことではなく、

相手はどうしたいと思っているのか。
そこが出発点。

大人であるぼくが不安定だから、子どもは仲良しに固まっていくのだ。不安な環境を先生がつくっているのだから。

頭でわかっていても、日々体現していくのって本当に難しい。
自分の感情とどうつきあっていくか。とてもとても大切なテーマ。

常に理想的な教育とか、理想的な関わり、というものは本当はなくて、失敗したり、なやんだりの繰り返しの中で、少しずつ創り上げていくものなんだと思う。


編集部より:このブログは一般社団法人「軽井沢風越学園」発起人、岩瀬直樹氏(東京学芸大学准教授)のブログ「いわせんの仕事部屋」2018年3月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩瀬氏のブログをご覧ください。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
岩瀬 直樹
一般財団法人「軽井沢風越学園設立準備財団」副理事長

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑