神話の復興による成長戦略

死期の迫った農夫は、のらくら息子たちに、自分の葡萄畑に宝物を隠してあるといって死んだ。息子たちは、畑を隅から隅まで掘り返したが、宝物は見つからなかった。その代わりに、葡萄がよく実った。これは、イソップの「農夫と息子たち」という有名な寓話である。寓意は、人間にとって苦労こそが宝物だとされている。

この寓話、思想的に深遠な意味をもつものとして、ジンメルやベンヤミンといった哲学者も引用している。どこに哲学上の論点があるかというと、農夫の嘘は、事実として、息子たちに信じられたところである。原点における農夫の嘘は、息子たちにとっては、疑う余地のない歴史的真実だったのであり、そこには、嘘を真実として通用せしめるだけの父親の権威があったということである。

企業には、創業の神話、伝統、文化、風土、理念、哲学などと呼ばれるべきものがある。創業者や経営者の個人的確信ではなくて、それが組織化し、組織内で空気のように自然に共有され、呼吸され、信じられ、組織の所属員の行為を自然に律するものとなったものである。これは過去の成功神話への信仰なのだが、その信仰が企業の未来の成長への動因となっている。

かつての日本の企業では、頌歌を捧げるごとくに、社歌を斉唱したり、経営理念を御経のように唱えたりと、程度の差こそあれ、多分に宗教的雰囲気を醸していたものである。しかし、もはや、神話は失われた。どうすれば、神話を再興できるのか。まさか、社歌の斉唱の復活でもあるまい。

例えば、技術力の神話である。高度な加工技術をもつ中小企業等が極めて困難な課題に挑戦して、それを成功させて世の注目を浴びるというような企画が色々となされているが、そうした企画自体の経済的意味は希薄だ。そこで意図されていることは神話の域に達した技術力への確信の形成なのである。

金融庁の森信親長官も、金融界における神話の創造に努力している。「顧客との共通価値の創造」は神話である。金融機関が自己の利益ではなく、顧客の利益を考えて行動するとき、結果的に、金融機関の利益につながるということは、金融機関がもつべき確信でなければならず、その限り、それは神話なのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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