中国の憲法修正に関するもう一つの解釈①

2018年03月10日 06:00

新華社サイトより引用:編集部

先日、春節休み後、久しぶりに再会した学生たちと一緒に食事をしていて、こんなことを聞かれた。

「先生は中国の憲法修正をどう思っていますか。習近平にはこれまでいい印象を持っていたけれど、今は疑問です。移民する人たちも増えているし、果たして共産党の支配はいつまで続くんでしょうか?」

国家主席、副主席の任期を「2期を越えてはならない」、つまり最長で10年と定めた憲法条文を削除する修正案が、北京で開幕中の全国人民代表大会で議論されている。習近平国家主席の任期は2023年までだが、これで長期政権の可能が高まる。憲法には、「習近平の新時代の中国の特色を持つ社会主義思想」も明記され、習近平政権の権力基盤はますます強化されていることがうかがえる。

学生たちの疑問は、海外メディアの視点と共通している。ネット規制の壁を特殊ソフトで乗り越え、国外の情報に触れているためだ。仲間どうしの携帯チャットでも、似たような意見が大勢を占めているという。

試しに彼女たちに聞いてみた。

「じゃあ、憲法を読んだことはある?憲法の歴史、その政治的背景については、どれだけ理解している?」

案の定、答えは返って来なかった。口ごもってしまった。すでにメディアやネットで作り上げられた問題設定に従って、後追いの議論をしているに過ぎない。

同時に、日本でも似たような光景はみられるのではないかとも思った。憲法改正論議は国会やメディアでさかんに行われるが、果たしてみながどこまでその意味や背景を理解しているのか。選挙のたびに、論点が矮小化され、賛成か反対かと問われても、ピンとこないはずだ。戦争か平和かと問われればだれもが平和と答えるに決まっている。欠けているのは、では平和とは何か、という根本の議論である。

「まずは現場に自分の身を置いて問いを発し、思考すること。先生がいつも言っていることを思い出してほしい。だから今の憲法がどのようにして生まれたのか。そこからスタートしよう」

私はこう言って、国家憲法記念日がいつかを尋ねた。もちろん分からない。答えは12月4日。1982年のこの日、現行憲法のもとになる82年憲法が成立した。そこで私は興味深い映像を見せた。ネットで検索できるものだ。

人民大会堂で開かれた第5期全国人民代表大会の全体会議で、憲法草案に対する無記名投票が行われ、満場の握手の中で可決された様子を伝えている。「これをもって中華人民共和国憲法が本会議を通過した」と宣言したのは、なんと習近平の父親で、当時、全人代副委員長兼司法委員会主任の任にあった習仲勲だ。

みなの驚く表情を見て、私は、「父親が採択したものを、息子が修正した」と奇異なめぐり合わせを語った。メディア関連の授業でも同じ映像を見せ、やはり同じコメントを残した。そして、あとは自分で考えるようにとボールを投げた。当然のことながら、学生たちは息子が親の意向に背いたと受け止めた。だが、私が伝えたかったメッセージは、まったく反対だ。

物事を見る際に、表面的ではなく、歴史的背景や社会事情を踏まえた判断をしなければ、真相をつかむことはできない。異なる時代背景、政治状況のもとでは、それぞれに即した解釈をすべきことを学ばせたいと思ったのだ。

建国を率いた毛沢東ら革命世代の二代目「紅二代」のリーダーとして、習近平氏は親たちの残した遺産を受け継ぐ使命を帯びている。中でも党の存続は、紅二代の総意に基づく至高の家訓なのだ。親たちが党の指導を定めた憲法を、息子たちがないがしろにするわけはない。

1982年憲法の任期制限は、終生の「主席」であり続けた毛沢東への個人崇拝が、10年間にわたり全人民に災難をもたらした文化大革命を生んだ反省から生まれた。そこには特殊な歴史的、政治的背景があり、だれもが受け入れる時代の合理性があった。そこで、任期撤廃は毛沢東時代への逆行だという議論の先走りが起きる。だが果たしてどうだろうか。まずは、82年憲法後の歩みはいかなるものだったかを振り返る必要がある。

(続)


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年3月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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