スロバキア政界とマフィアの癒着

スロバキア政界の危機について語るキスカ大統領(2018年3月4日、スロバキア大統領府公式サイトから)

このコラム欄で「ブラチスラバのジャーナリスト殺人事件の調査が進み、事件の背景が明らかになれば、スロバキア政界が大揺れになる可能性が予想される」と書いたが、事態はその通りに進行してきた。

スロバキアで著名なジャーナリストが婚約者の女性と共に自宅で銃殺された殺人事件はブラチスラバの中央政界を直撃し、ロベルト・フィツォ首相は15日、引責の形で辞任に追い込まれてしまった。

アンドレイ・キスカ大統領は同日、フィツォ首相の後継者に同じ社会民主党系「スメル」からペレグリニ副首相を任命し、組閣を要請した。中道左派「スメル」は2016年の総選挙の結果を尊重し、3党から成る現連立政権の継続を要求し、それが受け入れられた形だ。ただし、政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で良く知られていたヤン・クツィアクさん(27)殺人事件に対し、国民は事件の全容解明を要求して、各地でデモ集会を行っている。

以下、先月25日のジャーナリスト射殺事件後のスロバキアの政界の動きをまとめる。

2月25日
ヤン・クツィアクさんと婚約者がブラチスラバ郊外の自宅で射殺されて発見。
(「スロバキア『ジャーナリスト殺人事件』」3月2日参考)。

2月26日
ロベルト・フィツォ首相は犯人逮捕に繋がる情報提供者に100万ユーロの報奨金を提供すると発表。
ティボア・ガスパール長官は、「事件はクツィアクさんの取材活動と密接な関係がある」との見方を明らかにした。

2月28日
マレク・マダリック文化相は、「ジャーナリストが殺害されたことに文化相として責任を負う」として辞意表明。

2月26日から3月に入り
ジャーナリスト殺人事件の全容解明を求めるデモ集会が全土で展開。デモ参加者はフィツォ政権の即解散、総選挙の実施を訴えている。

3月9日
ブラチスラバで約3万人の国民がデモ集会を開催。1989年の民主改革時のデモ以来の最大の規模となった。参加者は「スロバキア国民は真面目な勤勉な国民だ」と叫び、マフィアとの癒着が噂されている政府関係者を批判。事件の全容解明のため独立機関の設置を求めている。

3月12日
ジャーナリストが狙われていたことを知りながら対応しなかったとして辞任を要求されてきたロベルト・カリナク内相が事件発生2週間後、辞任を表明。

3月14日
フィツォ首相は国内の政情を鎮静化させ、早期総選挙を回避するために現連立政権の継続と後継者の任命権など3つの条件がキスカ大統領に受け入れられるならば、即辞任すると表明

3月15日
キスカ大統領はフィツォ首相の条件を受理し、首相の辞任を受け、後継者にフィツオ首相と同じ政党「スメル」所属のペレグリニ副首相を任命した。

「スメル」と連立政権を組む「架け橋」(Most-Hind)のベラ・ブガル党首は、「首相の辞任は事態を沈静化するのに貢献するだろう」と期待を表明した。一方、野党の「普通の人々」(Olano) や 「自由と連帯」( SaS )は「フィツオ首相の辞任では十分ではない。総選挙を実施して国民に真意を問うべきだ」と主張している。

事件の全容解明はあまり進んでいない。殺されたヤン・クツィアクさんはドイツ・スイス系のニュースサイトに所属。同記者が書きかけていた記事「スロバキアのイタリア・マフィア」によると、スロバキア東部に拠点を置くイタリア系マフィアがスロバキア政府の上層部と連携し、欧州連合(EU)の補助金を不正利用していた疑惑があるという。また、フィツォ首相の個人秘書マリア・トロスコバ女史は以前、イタリアの会社に勤務し、マフィアと関係があったという。

ブラチスラバの民族劇場前で1988年3月25日、「宗教の自由」を求めたキリスト信者たちの「ろうそく集会」が開催され、警察隊によって鎮圧され、多数の信者たちが拘束されたが、クツィアク記者の射殺事件は、30年前の「ろうそく集会」と同じように、スロバキア国民に大きな衝撃と憤りを与えている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年3月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。