桜の下で展示された「漢字から平仮名へ」

無錫の桜祭りで、とても懐かしい顔と再会した。昨年4月、学生を引率して日本取材ツアーに出かけた際、北九州市で出会った篆刻家・師村妙石さんだ。次男の冠臣(かんじ)さんも通訳を兼ねて同行し、現地の東林書院で桜祭り記念個展を開いた。





師村さんは浙江省嘉興に専用のアトリエをオープンさせたばかりで、開所式に参加した後、その足で無錫に足を運んだのだ。

師村さんは日中国交正常化直後の1972年10月、友好訪問団として訪中し、人民大会堂で当時の周恩来首相から接遇を受けた。以来、書の交流を広める訪中歴はすでに200回を超えた。昨年の取材ツアー後、師村さんについては詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。

【日本取材ツアー⑫】毎日、「寿」を彫り続ける篆刻家(2017年4月17日)

【日本取材ツアー⑬】反日デモをくぐり抜けた篆刻石柱碑(2017年4月18日)

篆刻家・師村妙石氏を描いた学生の力作(2017年6月6日)

今回の無錫での個展は、これまでの実績を土台に常設の活動拠点を設けた後、記念すべき新たな発展の第一歩となった。さらに重要な意味がある。まずは、師村さんの代表作の一つに「桜花爛漫」があり、まさに桜満開の時期に同作を展示できたことだ。


そして、学問の府として宋代以来の歴史を持つ東林書院が会場として提供され、地元の書家たちらと親密な交流ができたこと。東林書院は宋代の儒者、楊時が理学を伝えるために開いた私塾が始まりである。師村さんは1980年代、同地を訪れているが、当時は荒廃し、見る影もなかった。その後、見事に復元された書院で個展を開く機会を持てたことに、深い感慨を抱いた。





会場の「道南祠」には正面に清代の名書家、鄧石如が書いた額「後学津梁」(こうがくしんりょう=学びを受け継いでいく架け橋の意)が掲げられていた。


そして、最も重要なのは、師村さんが今年8月、河南省安陽の中国文字博物館で予定している個展「漢字から平仮名へ」の一部作品が先駆けて披露されたことである。


漢字の草書体が平仮名に変化していく歴史を書の作品にしたものだ。中国文字博物館には世界の文字が集められているが、残念ながら日本の平仮名がない。そこで師村さんは、個展を通じて平仮名の存在を伝え、作品をそのまま同博物館に残そうと思い立った。日中の文字交流史において画期的なイベントになる。

様々な思いの去来した無錫行だった。
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なお、直近では師村さんについて、以下の新聞記事がある。

西日本新聞3月20日 出来町公園に「博多駅」 福岡市が師村氏に感謝状 


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年3月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。