ワルトハイムと民族の「苦悩」

2018年04月07日 11:30

ワルトハイム夫妻(1986年6月23日、ウィ―ンにて、撮影)

春の訪れを告げるような暖かい光が仕事場に差し込んできた日、久しく手を付けてこなかった昔の写真の整理に取り掛かった。1枚の少々暗い写真が目に入った。1986年のクルト・ワルトハイムの大統領選挙後の写真だった。ワルトハイムと夫人エリザベトさんが椅子に座っている。夫人はこちらを見ているが、ワルトハイムの視線は下の方に向いていた。

ワルトハイムは第4代国連事務総長(任期1972~1981年)を10年間勤めた後、第6代オーストリア大統領(1986~1992年)に就任した人物だ。職業外交官としては最高の地位に上り詰めたが、その生涯はいつも輝かしいということはなく、特に大統領選では世界からバッシングを受けた。理由はバルカン戦線でのナチス・ドイツ戦争犯罪関与への容疑だ。世界ユダヤ人会議(WJC)がワルトハイム攻撃を始め、世界の主要メディアもそれに追従してワルトハイムを叩き続けた。ナチスの青年将校だったワルトハイムの戦争犯罪関与容疑について国内では意見が分かれたものの、輝かしい外交経歴を誇るワルトハイムは大統領選で勝利した。

写真は大統領就任前、1986年6月23日、ウィーンで撮影したものだ。写真を見ながら、ワルトハイム夫妻は当時、どのような心境で日々を送っていたのだろうかと考えた。ワルトハイムは自身への戦争犯罪容疑については、「自分は国民の1人としてその義務を果たしただけだ。自分は一将校に過ぎず、いかなる意思決定にも加わる立場ではなかった」と弁明した。

国際戦争歴史専門家委員会はワルトハイムが直接、バルカン戦線でのナチス戦争犯罪に関与した証拠はないと表明。ナチ・ハンターで有名だったサイモン・ヴィーゼンタールも当時、「ワルトハイムは戦争犯罪には加わっていない」と擁護したが、それらの専門家たちの声はかき消され、ワルトハイムの戦争犯罪容疑報道だけが独り歩きし、激しいメディア攻撃が続いた(「『ワルトハイム』報道は重要な教材だ」2016年12月12日参考)。

大統領就任後の87年4月、米国はワルトハイムを「入国不適格者リスト」に加え、欧州の政治指導者はワルトハイムの大統領時代にはウィーンを公式訪問しなかった。ワルトハイムは文字通りホーフブルク宮殿の“寂しい大統領”だった。再選出馬断念はその結果だ。

当方は当時、「写真を撮らせて下さい」と断ってからシャッターを切ったことを覚えている。多分、ワルトハイム夫妻はナチス戦争犯罪容疑で国際社会から追及されていたこともあって余り嬉しくなかったはずだ。その時のワルトハイムは、何かに耐えているような印象を与えた。

当方はワルトハイムの証言を信じる。彼は自分が直接犯していなくても民族や国家が犯した罪を背負わざるを得ない立場にいた。ワルトハイムはナチ戦争犯罪という民族の十字架を背負い続けていたのだろう。

ワルトハイムは最後の著書『返答』の中で戦争犯罪容疑で追及されていた日々を振り返り、「最も辛かったのは私を見つめていた家族の可哀そうな姿だった」と述懐している。

オーストリアは今年、ヒトラー・ナチス政権のオーストリア併合(Anschluss)80年を迎え、同国では80年を振り返る討論会やシンポジウムが開かれている(「ヒトラーの『オーストリア併合』80年」2018年1月3日参考)。

アドルフ・ヒトラーが率いるナチス政権は1938年3月13日、オーストリアを併合、同15日、ヒトラーは首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した。その後の展開は歴史がはっきりと物語っている。同国のオーバーエスターライヒ州にはマウトハウゼン強制収容所があった。

オーストリアは戦後、「モスクワ宣言」を拠り所としてヒトラーの戦争犯罪の被害国と主張してきた。「モスクワ宣言」には、「ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある」と明記されている。

同国がヒトラーの戦争犯罪の共犯だったことを正式に認めたのはフラニツキー政権(任期1986年6月~96年3月)が誕生してからだ。フラニツキー首相はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチ ス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と公式の場で初めて認めたことから、同国で歴史の見直しが始まった。そこまで到達するのに半世紀余りの月日が必要だったわけだ。

ワルトハイムの戦争犯罪容疑問題はオーストリア国民に歴史の再考を促す契機となった。その意味でも、ワルトハイムはオーストリア歴史で消すことができない重要な貢献を果たしたことになるわけだ(「ナチス政権との決別と『戦争責任』」2015年4月29日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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