「ヒトラーを殺せ」山荘と列車での攻撃は成功するか:英公文書館の歴史的資料

2018年04月26日 06:00

Jared Enos/flickr(編集部)

ドイツ・ナチスの総裁アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)が亡くなってから、今月末でちょうど73年となる。

第2次世界大戦(1939~1945年)はヒトラー率いるドイツ、イタリア、日本などによる枢軸国側と米英ソを主とする連合国側との世界的な戦いだった。

1940年、英政府は「特殊部隊作戦執行部」(Special Operative Executive=SOE)を設置する。ドイツの占領下にある欧州全体で偵察、妨害、調査を行うためだ。終戦から数か月後の1946年1月まで、約1万3000人が連合国側勝利のために隠密活動に従事した。このうち、3200人が女性である。(「チャーチルのお気に入り」と言われた女性スパイの活躍については、こちらの記事をご覧いただきたい。チャーチルお気に入り有能女性スパイの正体 )

1944年、SOEはヒトラーを暗殺する「フォックスレー作戦」の実行を計画した。

作戦の実行場所は、ドイツ南東部バイエルン州ベルヒテスガーデンの近郊にあったヒトラーの別荘「ベルクホーフ」か、移動の列車内を想定した。それまでにも暗殺計画は複数あったが、今回はスナイパー(狙撃手)による攻撃で、最も成功率が高いと考えられた。

連合軍によるノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日)が、ある貴重な情報をSOEにもたらす。

拘束されたドイツ人の1人が、ベルクホーフ邸でヒトラーの警備を担当していた人物だった。この人物によると、毎朝、ヒトラーは20分ほどを散歩の時間にあてるという。この時、誰も警備員はつかない。また、ヒトラーが別荘に滞在中はナチスの旗が掲げられ、その模様を近郊の村のカフェから目にすることができることが分かった。

ロンドン南西部キューにある、英国の国立公文書館。ここには、フォックスレー作戦の計画文書や列車の内部を示す図が保管されている。

これによると、まずヒトラーが散歩中に攻撃することを主眼とし、ドイツ語ができるポーランド人と英国人のスナイパーをオーストリア国内にパラシュートで落下させる。別荘から約20キロ離れたオーストリアの都市ザルツバーグに住む現地協力者が2人をかくまう。この協力者が工作員2人をベルヒテスガーデンまで車で運ぶ。ドイツ軍の山岳兵の扮装をした2人はヒトラーを狙撃する位置に付き、狙いを定める。

列車を狙う計画はどうか。

ヒトラーが山荘に向かう時に乗り込む列車は、ザルツバーグ駅で補修などのために一時停車することがあった。そこで、列車の清掃人の1人に、作業が終わる前に食堂車に置かれた貯水タンクに何らかの毒(物質「I」)を入れてもらう、あるいは前の晩にこれを入れておくなどの案が考慮された。この物質は無色無臭だ。

ヒトラーは無類の紅茶好きだった。カップに最初に牛乳を入れてから紅茶を注ぐのが常で、物質Iはこの状態ではその存在が露呈しない。しかし、紅茶だけだと乳白色に濁ってしまう。ヒトラーはコーヒーも愛飲したが、コーヒーであれば牛乳を入れても入れなくても外見上は変化がない。ヒトラーの飲み物に物質をどう入れるかで作戦立案者は考えを巡らせた。

フォックスレー作戦は1944年7月中旬に実行されることが計画されていた。しかし、実行されないままに終わってしまう。

その理由は、ヒトラーのナチス内での威信にほころびが見えかかっており、ヒトラー個人を殺害してもナチス内の別の有力者が実権を握り、ヒトラーよりも優れた戦略を実行する可能性があったからだ。また、ヒトラーが殺害され、ナチスの殉教者と見なされるようになった場合、「ヒトラーさえ生きていれば勝てたのに」という感情が生まれることも予想された。ヒトラーの殺害でナチスの進撃を止めることはできても、政治運動を根こそぎにすることはできないだろう。では、一体どうするのか。

英政府内で意見がまとまらない中、ヒトラーは44年7月14日山荘を後にし、2度と戻ることはなかった。

ヒトラーが夫人のエバ・ブラウンとベルリンの総統地下壕の個室でピストル自殺をしたのは、翌1945年4月30日であった。

「フォックスレー作戦」文書(英国国立公文書館)

「フォックスレー作戦」関連教材(英国国立公文書館のウェブサイト)

***

第2次大戦は1945年、連合国側の勝利に終わったが、その直後からソ連対米国と西欧諸国による東西の冷戦が始まってゆく。

英公文書館には冷戦に関わる文書、スパイの暗躍・告白を綴るファイルが数多く収蔵されている。原本を見たい人はウェブサイトで検索して文書番号を探し出し、閲覧申請を出しておくと、来館した時に見ることが出来るようになっている。一部の書類(1912年に処女航海で沈没したタイタニック号のファイル、17世紀に活躍した英国の劇作家シェイクスピアの遺言書など)はデジタル化されており(一部有料)、公文書館に行かなくても確認ができる。

公文書館に残された様々な歴史文書にまつわるエピソードを「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)にまとめている。どこかでお手に取ってみてくださると幸いである。


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2018年4月25日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。

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