日本史は世界から見ると興味深い?大砲撃戦だった大坂の陣

2018年04月26日 16:30

写真は茂木さん(N予備校HP)

このような疑問を感じたことはないだろうか。そもそも「日本」は世界の一部なのに、なぜ「日本史」は、日本のことしか教えないのだろう?世界史とつなげてみれば、「日本」という国の存在意義、強みはどこにあるのかまでが見えてくる。

今回、紹介するのは『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』(KADOKAWA)。著者は、大手予備校で世界史の教鞭ををとる茂木誠さん。グローバル時代に知るべき新しい「大人の教養」について理解することができる。

大阪の陣のおさらい

1614年7月26日(慶長19年)、方広寺鐘銘事件が発生する。秀吉が創建したものの、地震で倒壊し秀頼が再建させた大仏殿。鐘に刻まれた「国家安康 君臣豊楽」という銘文が、「家康」の二文字を分割して呪詛し、豊臣家の安泰を祈願したものだと家康がクレームをつけた。秀頼は絶対に受け入れられないと最後通牒を発する。

「大坂城は家康には落とせぬ。要求には屈するな」と、母である淀殿の意向に秀頼は従う。当時、最大級の規模を誇り1キロメートル四方の内堀、2キロメートル四方の外堀に囲まれていた。さらに大坂城本丸は全体の北寄りにあり淀川をはじめとする川に守られていた。

家康は諸大名に呼びかけて20万人の大群で城を囲んだ。しかし、この2重の堀に阻まれてしまう。家康は備前島と呼ばれる淀川中州に砲を設置する。ここから本丸まで約700メートル。12月以降、日本史上空前の大砲撃戦が開始される。

しかし、当時の大砲は鉄球を飛ばすのみ。爆発しないので直撃させなれば損害を与えることができない。冬を迎えても大坂城は陥落せず、淀殿は家康からの和睦提案を拒否しつづける。12月16日、事件が起こる。家康軍の砲弾が、淀殿の居室である千畳敷を直撃した。侍女数人が命を落とし和陛を受け入れることになる。

しかし、家康は和睦条件を破棄し外堀と内堀の両方を埋め立ててしまう。堀が埋められたことで大阪城本丸は孤立する。そして、次の大阪夏の陣で豊臣家は滅亡する。この戦いを制したのは堀を埋められたことによる計略だという説がある。

実際に、堀が埋められたことによる影響は大きかったことは間違いない。しかし、家康が、オランダ製のカノン砲12門、長距離砲となるイギリス製のカルバリン砲4門、セーカー砲1門をインドから買い付けていたことはあまり知られていない。

さらに、台車は近江国友の鉄砲鍛冶につくらせて、カルバリン砲をモデルにした大砲をつくらせた。これは、国産初の大砲である。小型の「抱え大筒」も300丁集められた。このような視点で見ることで、戦闘の主力が大砲であることが理解できる。双方の兵器からわかるように、大砲撃戦だったのである。

本書の楽しみ方

本記事は、わかりやすい事例として、「大阪の陣」を紹介したが、本書では、古代から現代までの歴史が網羅されている。奈良時代の新羅遠征計画、平清盛をグローバリストと称し南宋の平和外交の実態に迫ったパート、スペインが日本侵攻は不可能としていた理由なども時代背景から導き出しており興味深い。

歴史観というものは人それぞれであり、自由な見方をすると興味深い。「なるほど、こういうものの見方もあるのか」という部分を楽しんでもらえれば、本書は役割を果たしたことになると、著者の茂木さんは述べている。

茂木さんは、長年の受験指導の実績をいかして、授業録音、授業ノート、論述対策など、世界史の教材をHP「もぎせか資料館」で公開している。歴史上の人物になりきって語る授業は、あらゆる受講生を引きつけ、「世界史が面白くなった」「大学でもっと勉強したくなった」と支持を得ている。本書では一端を垣間見ることができる。

尾藤克之
コラムニスト

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