劇場化する国会は「昭和の帝国議会」への道

財務省の福田淳一元事務次官のセクハラ問題で野党6党が審議拒否し、ここ1週間以上、国会は空転している。野党は麻生財務相の辞任を求めているが、なぜ事務次官の個人的スキャンダル(事実は確認されていない)で、大臣が辞任しなければならないのだろうか。

昨年(2017年)2月に森友学園の問題が国会で追及され始めてから1年以上にわたって、加計学園やセクハラなど、国会審議はスキャンダルで埋め尽くされている。この状況は昭和初期の帝国議会に似ている。当時も議会はスキャンダルに明け暮れ、政党政治は機能停止した。それは「軍部が政党政治を破壊した」といわれているが、本当だろうか。

スキャンダルに明け暮れる国会

国会で審議拒否が続くのは今に始まったことではないが、2015年の安保国会では曲がりなりにも安保法制という政策が争点だった。ところが森友学園の問題は、大阪の国有地の払い下げというローカルな問題だったが、安倍首相が「関係していたら辞任する」と答弁したり、理財局長が虚偽答弁するなど、政権の対応が混乱して長期化した。

加計学園も国家戦略特区に「総理の意向」があるというだけの話だが、これも初期には菅官房長官が「怪文書」と断定したのに対して、文部科学省の前川元事務次官が「本物だ」というなど、政策とは無関係な混乱が続いている。

今年3月に出てきた森友学園の文書改竄は、一連の騒ぎの中では唯一、違法性の疑いのある事件だが、財務省が事実関係を調査中だ。国会でいくら騒いでも進展するはずがない。セクハラに至っては、何をかいわんやである。

野党の審議拒否は、国会戦術としては合理的である。野党は6党合計しても3分の1に満たず、政府の法案をいくら審議しても否決できない。各党の政策はバラバラなので、まとまって対案を出すこともできない。

唯一の抵抗手段は、審議を遅らせて重要法案を時間切れで重要法案を廃案に持ち込むことだ。今国会の場合は「働き方改革」だが、その審議は終わったので、内容に文句をつけることはできない。残るのはスキャンダルで審議を止めることだ。

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