金正恩氏の“究極の非核化構想”とは

朝鮮半島の行方は2人の政治家の発言に揺り動かされている。日韓のプリント・メディアは当初、6月12日シンガポールで開催予定の史上初の米朝首脳会談を控え、「朝鮮半島の行方」、「北の非核化の見通し」といった連載を組む予定だったが、そんな悠長なシリーズは諦めざるを得なくなった。2人の政治家の口から前日とは180度違う発言が飛び出し、米朝首脳会談の開催自体が2人の政治家の発言によってコロコロ変わるからだ。朝鮮半島の行方は、神のみぞ知る、といった状況となってきた。

▲文大統領と会談する金正恩委員長 2018年5月26日、板門店北側「統一閣」で(韓国大統領府公式サイトから)

▲文大統領と会談する金正恩委員長 2018年5月26日、板門店北側「統一閣」で(韓国大統領府公式サイトから)

米大統領府は24日、ペンス副大統領への北側の罵声に激怒し、「残念なことに、現時点でこの会談を開くことは適切ではない」と記述したトランプ大統領の金正恩朝鮮労働党委員長宛ての書簡を発表した。 世界は驚いたが、金正恩氏もビックリした。その24時間後、北の金桂官第1外務次官が金正恩氏の委任により発表した談話の中で、「わが国は米国との首脳会談を願っている。トランプ氏のこれまでの労苦を評価する」と述べると、トランプ大統領は前日の発言を忘れたかのように、「米朝首脳会談はひょっとしたら予定通り実施されることもあり得る」と軌道修正しているのだ。

一方、金正恩氏は26日、韓国の文在寅大統領と2回目の南北首脳会談を板門店北側の「統一閣」で行い、2時間余り極秘会談をした。短期間に米朝韓3国首脳の間でボールが右に左に投げられ、それをフォローするメディア関係者はその度にあたふたするわけだ。

さて、米朝首脳会談の最大のテーマは「北の非核化」だ。「朝鮮半島の非核化」は近未来のテーマとなってもシンガポールの米朝首脳会談のアジェンダとするには準備不足だ。

ところで、トランプ氏と金正恩氏の間には依然、非核化の具体的な内容で大きな隔たりがあると報じられてきた。金正恩氏はトランプ氏の「完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄」(CVID)に難色を示し、リビア方式の非核化を拒否してきた。3代の金王朝にわたり巨額の資金を投資して核兵器製造を目指してきた北が米国からの経済支援の約束だけでそれを全て放棄すると考えることは余りにも非現実的だからだ。当方もこれまでそのように考えてきた。

(金正恩氏の非核化構想については、このコラム欄で数回書いてきた。①「『北』の非核化か『朝鮮半島』の非核化か」2018年3月26日、②「北は“リビア方式”の非核化を拒否」2018年4月2日、そして③「非核化の“どの工程”で制裁解除?」4月22日の3本のコラムで詳細に述べたので、関心のある読者は再読をお願いする)。

しかし、ここにきて「金正恩氏はひょっとしたら非核化に応じるかもしれない」と考え直してきた。それもトランプ政権がこれまで執拗に要求してきた完全で検証可能な非核化だ。実際、板門店で26日、金正恩氏と2回目の南北首脳会談した文大統領は27日、「金正恩氏は完全な非核化に応じる意向を明らかにした」と証言している。

それでは金正恩氏が考えている非核化とはどのようなものか。それはリビア方式でも南アフリカ方式でもなく、独自の非核化構想ではないか。

金正恩氏の非核化構想は外的にはリビア方式であり、トランプ氏のCVID要求に一致するが、違うはずだ。金正恩氏にとって、製造済みの核兵器を全て破棄しても、核兵器を保有している可能性を匂わせることが重要だからだ。

リビアの場合、その核開発は初期的段階だったから、核関連施設を破壊し、核原料を破棄すれば、それで非核化は完了したが、北の場合はそうはいかない。6回の核実験を実施した国だ。米国が経済支援を渋るようならば、潜在的な核兵器を交渉カードとしていつでも切れなければならない。

ジョージ・W・ブッシュ大統領時代の米国務長官だったコリン・パウエル氏はメディアとのインタビューの中で、「使用できない武器をいくら保有していても意味がない」と述べ、大量破壊兵器の核兵器を「もはや価値のない武器」と言い切ったことがある。金正恩氏はパウエル氏の発言から独自の非核化構想を考え出したのではないか。すなわち、核兵器の管理とメインテナンスで莫大な資金を投資するより、「わが国は核兵器を保有している」ということを敵国に思わせるだけで十分だ。「核兵器」の有無はもはや2次的な問題となる。

もちろん、開発途上国のアフリカの国が突然、「わが国は核兵器を保有している」と世界に向かって宣言しても誰も信じないが、北がある日、「わが国はまだ核兵器を保有している」と宣言すれば、どの国が「嘘だ、強がりだ」と言って無視できるが、北は過去、6回の核実験を実施し、ひょっとしたら核弾頭を挿入できるミサイル技術も修得しているかもしれないのだ。相手にそう考えさせるだけで非核化後の北は依然「核保有国」として振舞うことができるわけだ。

実際の例を挙げる。イスラエルはこれまで「核保有」を宣言したことがないが、イスラエルの核兵器保有を疑う国は少ない。同国は核実験をせずに核兵器保有国のステイタスを享受したユニークな国だ。金正恩氏の非核化構想はイスラエル方式にむしろ近いのではないか。相手(敵国)に「北は核をひょっとしたらまだ保有しているのではないか」と思わせることが重要だからだ。

参考までに、南アフリカは過去、核兵器を保有後、それを全て破棄した世界で唯一の国だ。北と南アとの非核化の違いは、南ア政権は当時、“自発的”に核兵器を破棄したが、金正恩氏の非核化構想はやむを得ず考え出した構想だ。両者には非核化の動機が異なっている(「北の非核化は南アフリア方式で?」2018年5月11日参考)。

まとめる。金正恩氏はトランプ氏の要求に応じて完全な非核化に応じ、既成の核兵器を米軍の管理下におく。トランプ氏は金正恩氏からこれ以上の譲歩を勝ち得ることはできないから「非核化宣言」に即署名するだろう。トランプ氏にはこれで十分だろう。11月の中間選挙までに歴史的な外交実績を挙げることができればいいからだ。

一方、経済的に負担の大きい核兵器保有の悪夢から解放された金正恩氏は国民経済の再建にその資金を投入できる。もちろん、必要となれば、いつでも「わが国は核兵器を保有しているよ」と匂わせることができる。北の非核化宣言後も世界は北の仮想の「核保有」の脅しに怯えざるを得ないのだ。

金正恩氏は核兵器を放棄した「核保有国」という新しいステイタスを切り開き、国際社会の制裁解除を獲得し、米国や韓国から経済支援を受ける道が開かれるのだ。トランプ氏と金正恩氏はウインウインの関係だ。

蛇足だが、恒常的な電力不足に悩む北にとって、核エネルギーの平和利用は今後とも継続しなければならないだろう。核エネルギーの平和利用は主権国家の権利だ。米国はそれには反対できない。しかし、核兵器開発のノウハウを既に修得した北にとって、核エネルギーの平和利用を軍事目的に転用することなど朝飯前のことだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。