ロシアの愛するウィーンの「外交」

ロシアのプーチン大統領は5日、オーストリアを訪問した。4期目の大統領就任後、初の西欧訪問先にオーストリアが選ばれたということもあって、ホスト国はプーチン氏を大歓迎。英国亡命中のロシア元スパイ毒殺未遂事件やウクライナのクリミア半島の併合で欧米の制裁下にあるロシアのトップにとっても久しぶりに味わう欧州での公式訪問となった。

▲クルツ首相と会談するプーチン大統領、2018年6月5日、ウィ―ンで(ロシア大統領府公式サイトから)

▲クルツ首相と会談するプーチン大統領、2018年6月5日、ウィ―ンで(ロシア大統領府公式サイトから)

世界で最も危ない政治家の一人、プーチン氏の身辺警備には800人の警察官、同数の兵士が動員され、17機の軍用機がウィーン、ブルゲンランド州、ニーダーエスターライヒ州の空域を一部閉鎖し、監視した。
プーチン大統領のオーストリア訪問では2件の小規模なデモが行われた。1件はプーチン氏批判の抗議デモ、もう1件はプーチン氏歓迎のデモだった。
もちろん、プーチン氏が訪問する連邦大統領府、首相府、商工経済会議所、シュヴァルツェンベルク広場のロシアの無名戦士記念像の周辺は閉鎖された。外国要人の訪問に慣れたウィーン子からは批判や不満の声は余り聞かれない。“会議は踊る”でも有名なウィーンでは、国際会議、要人訪問は生きる上でも重要な生活の糧であることを市民はよく知っているからだ。

自身がロシア系のホスト、アレクサンダー・バン・デア・ベレン大統領はプーチン氏を迎え「ロシアは欧州の重要な一員だ」と述べ、欧米の制裁下にあるロシアのゲストに歓迎を表明する一方、「制裁は双方にとってマイナスだ」と、対ロシア制裁の早期解除を訴えた。傍で聞くプーチン氏の頬が緩む。わざわざウィーンを訪問した甲斐があった、といわんばかりだ。

ちなみに、欧米諸国がロシアに制裁を科す契機となったウクライナのクリミア半島の併合や英亡命ロシアスパイ毒殺未遂事件についてはバン・デア・ベレン大統領は何も言及しなかった。ゲストを歓迎することに徹底しているホスト国は、ゲストに不快な思いをさせないことが基本と考えているからだ。

オーストリアは冷戦時代から東西両欧州の架け橋的役割を果たしてきた。欧州連合(EU)に加盟後も紛争問題の調停には積極的に関与する一方、ゴラン高原に軍を派遣するなど国連の平和外交にも参加してきた。ただし、北大西洋条約機構(NATO)には加盟していない。

多くの欧米諸国は、英国亡命中の元ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)スクリパリ大佐と娘の暗殺未遂事件でロシアの関与があったと判断、ロシア人外交官の国外追放制裁に出たが、オーストリアはロシア外交官の退去要請を避けた。だから、「これこそプーチン氏が4期目就任初の外遊先にオーストリアを選んだ理由だ」という情報が流れてきた。それに対し、プーチン氏自身は4日、モスクワでのオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「オーストリアはそのような報酬を必要とする国ではない。わが国とオーストリアは常に良好関係を維持してきた」と説明している。

厳密にいえば、オーストリアにとってロシアとの経済関係、特に、ロシア産天然ガスの供給問題が重要だ。オーストリア石油最大手「OMV」とロシア国営「ガスプロム」との間のガス供給契約は2028年で終わることになっていたが、ロシアは今回、2040年まで延期する契約書に署名し、ホスト国の労に応えた。プーチン氏によると、「オーストリア政府はガスパイプライン建設計画『ノルド・ストリーム2』を評価した」という。

クルツ首相は「わが国は欧米諸国の制裁には同意するが、ロシア外交官の国外退去は求めない。なぜならば、対話が問題解決には必要不可欠だからだ」と説明、段階的に対ロシア制裁の解除を主張した。立派な正論に聞こえるが、厳密にいえば、欧州の一員として対ロシア制裁は支持するが、制裁の具体的な実行には応じない、という矛盾した立場だ。
そうだ。オーストリアは冷戦時代から中立主義という衣服をまとってこの種の矛盾を隠蔽してきた。今回の対ロシア政策はその典型的な例だ。

これはオーストリア外交への批判ではない。アルプスの小国で中欧に位置するオーストリアにとって生き延びていく道だからだ。ハプスブルク王朝時代は婚姻政策でその版図を広げていったが、それを失った後は一時、ナチス・ドイツ政権に併合、加担したが、戦後は中立主義を貫いてきた。

ナチス・ドイツ政権の戦争犯罪に関与した容疑を受けたワルトハイム大統領は欧米諸国から外交制裁を受けた。ウィーンの大統領府を訪れる外国要人は途絶え、“寂しい大統領”と呼ばれ、最終的には再選出馬を断念せざるを得なかった。プーチン氏は“ロシアのワルトハイム”ではないが、欧米諸国からお呼びがかかる機会は少なく、寂しいクレムリンの主人だ。ロシア大統領が置かれている立場にオーストリア側は理解を示しているわけだ。

ちなみに、イランのロウハニ大統領が7月4日、ウィーンを訪問する予定という。音楽の都ウィ―ンはイラン核合意が締結された外交舞台だ。ちなみに、今回のロウハニ大統領のウィーン訪問は、答礼訪問だが、実際に実現するか現時点ではまだ不明という。

オーストリアは7月1日からEU議長国に就任する。プーチン大統領を歓迎し、イランのロウハニ大統領を迎えるアルプスの小国オーストリアの外交はユニークだが、欧州の統合を損なう危険性がやはり排除できない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。