欧州の顔メルケル首相の面目躍如

長谷川 良


人はどのような機会に面目を失うか、逆に面目を保つか分からないものだ。ロイター通信が撮影した1枚の写真で“欧州の顔”といわれてきたメルケル独首相の株が再び急上昇中だ。

カナダ東部シャルルボワで開催された主要国首脳会談(G7)2日目の9日午前、首脳宣言の採択に向けて首脳たちが話し合っている所が撮影されたが、メルケル首相がトランプ米大統領に向かって机に手を置き、トランプ氏を激しく追及しているような写真だ。トランプ氏は椅子に座ったまま、苦情を聞いている。いつもは穏やかで、感情をあまり表に出さないメルケル首相としては珍しい状況だ。普通ではないことが写真からも感じ取れる。

その1枚の写真が世界に配信されると、多くの人の目に触れた。SNSでは「ホー、あのメルケル首相も感情を露にして喋ることがあるのだな」といったコメントから、「さすがに欧州の顔だ。不法な関税をかけるトランプ氏に向かってよく言ってくれた」といった賞賛のコメントまでさまざま意見が飛び出している。メルケル首相は最高の宣伝を、それも自然の形でやってのけたのだ。

少々、残念だったと思うのは、マクロン仏大統領だろう。彼の顔が写真には入っているが、焦点がメルケル首相だったから、顔の一部しか写っていない。マクロン大統領もメルケル首相と同じように苦情を言っていたのだろうが、写真では分からない。マクロン大統領としては母国に向かって、「国民の皆さん、私はカナダでこのように頑張っていますよ」とアピールしたかっただろう(それにしても、安倍晋三首相はいい場所にいた。写真に写った政治家で全身が完全に写っていたのは安倍首相だけだった)。

メルケル首相は4期目の首相だ。マクロン大統領はようやく40歳に突入した政治の世界では依然、青二才だ。メルケル首相は意識しなくてもロイターやAP、AFPのカメラマンがどこにいるか感覚で分かるから、自分がどのような行動をとればベストかを瞬間に判断できる。マクロン大統領がメルケル首相のレベルに到達するにはもう暫くの時間が必要だろう。

前口上が長くなった、カナダのG7でも明らかになったように、米国と他の6カ国の間にあった亀裂は今回、一層拡大してきた。特に、貿易分野では保護色が強くなった米国と自由貿易を擁護する他の6カ国の間に大きな意見の相違が出てきている。米国が発動した鉄鋼とアルミニウムに対する輸入制限措置に対し、他の加盟国から批判が飛び出した。欧州の主要メディアでは、「6対1の戦い」「孤立を深めるトランプ」といった大きな見出しが躍っていたほどだ。

喧々諤々でようやくまとめた首脳コミュニケを、トランプ氏はシンガポールの米朝首脳会談に向かう途中の機内でカナダのトルドー首相の批判に激怒して、「首脳コミュニケは無効だ」とツイートした。ホスト国を務めたトルドー首相は怒り、米国関係者はいつものように困惑しただろう。メルケル首相自身はカナダから帰国後、10日夜のトークショーで「興ざめし、憂鬱になった」と答えている。

メルケル首相が嘆くのは当然だ。トランプ大統領の国際条約破り、外交ルール破りは今回が初めてではないからだ。トランプ氏は先月8日、13年間の外交交渉の末締結したイラン核合意から離脱を表明したばかりだ。核協議はイランと米英仏中露の国連安保理常任理事国に独が参加してウィーンで協議が続けられてきた。そして2015年7月、イランと6カ国は包括的共同行動計画(JCPOA)で合意が実現した経緯がある。トランプ氏はそれをあっさりと離脱表明したのだ。

メルケル首相は10日、米国との貿易問題について、「米国は世界貿易機関(WTO)の規則に違反しているが、われわれはWTOの規則に沿って、7月1日から米国の関税導入に対抗する」と強調し、米国の一方的なやり方に対抗するために“欧州ファースト”を表明。同時に、欧州諸国の結束を呼び掛けた。

いずれにしても、欧州はメルケル首相という政治家がいたことを感謝すべきだろう。メルケル首相のいない欧州がトランプ米政権と正面衝突したならば、欧州は今頃バラバラとなってしまっていただろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。