それでも、袴田事件の再審開始を期待して止まない


再審請求弁護団に入っているわけではなく、そもそも事件記録の精査をしているわけでもないのだから、私の感想など一顧だにされないで終わってしまうだろうが、私は何とかして袴田事件の再審を実現してもらいたいと思っている。

再審を認めた静岡地裁の判決が完膚なきまで否定され、再審請求が棄却されたが、最高裁では何とか再審を認めるような新たな法理を採用してくれないかしら、などと淡い期待を抱いている。

原審が再審請求認容にあたって依拠した鑑定の信用性を否定する以上再審請求を棄却せざるを得なくなるのは、法律実務家の判断としては当然と言えば当然なんだが、しかし本当に再審請求を退けたままでいいのか、ということについて疑念を拭い去ることが出来ない。

捜査当局が証拠に手を加えたとか証拠を捏造したなどという事実を客観的な証拠を提示して証明することは到底出来ないのだが、どうもこの事件の捜査は怪しいぞ、という疑惑が纏わりついている。

詳細は記憶していないが、自白に至る経過がおかしかった。
犯行を証明するに足りる決定的証拠の発見の経過もあやしかった。

判決の合議に加わった裁判官の一人は無罪の心証を得たが、合議の結果有罪の判決に至った、という経過を考えれば、裁判官の構成によっては無罪の判決が言い渡されたかも知れないぞ、などと考えると、一点の曇りもなく被告人は有罪だ、などとはとても言えないぞ、というのが袴田事件を初めて知った時の私の率直な感想だった。

疑わしきは被告人の利益に、という法理を単純に適用すれば、裁判官によっては無罪の判決を言い渡す事件ではなかっただろうか、ということを考えると、新しい裁判官の下ですべての証拠をもう一度見直ししてもらった方がいいのではないか、どうも釈然としないな、というのが、報道を通じてこの事件を見てきた私の感想である。

そういう先入見があるから、私は静岡地裁の再審開始決定を素直に喜んだ。

まあ、郷原氏でさえ東京高裁の判断を支持されているのだから、現在の再審法制では再審不開始にならざるを得ないのだろう。

しかし、私は、この事件については何とか再審を実現するような新たな法理を最高裁が編み出してくれないかしら、などと思っている。

多分、再審請求弁護団の方々も日弁連もそんなところだろう。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年6月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。