叔父と兄を粛清したからトランプに会えた金正恩(特別寄稿)

2018年06月23日 06:01

トランプ氏Facebookより:編集部

シンガポールでの米朝首脳会談についての評価は、会談から10日たってもまだ定まらない。

あいかわらず、トランプは譲りすぎたという人は多いが、トランプのほうは自信満々である。中間選挙向けの格好をつけただけだという人もいるが、ごまかしても秋の中間選挙までに化けの皮が剥がれるから、いまの段階でそんなつまらないことをする理由は見当たらない。

かといって、すべてうまくいっているとは言わないが、少なくともトランプは彼なりの計算で金正恩を自分の方に取り込めると確信しているのだと思う。

その究極的な目標は、北朝鮮をヨーロッパにおけるウクライナのような存在にすることだと思う。つまり、ウクライナはソ連崩壊のあとロシアと敵対する関係になり、アメリカの東欧における尖兵となり、NATOやEUにも入りたいとか言い出している。

アメリカがめざすのは北朝鮮をそのような存在にすることであり、それを誰よりも恐れているのは中国であろう。イムジン川でなく鴨緑江の対岸にアメリカ軍が現れるようなことになればたまったものでない。そこで、習近平は金正恩にごまをすって自陣営に残そうとしているし、金正恩はそれを弄んでいるように見える。

それでは、トランプも金正恩もどうしてあれだけ強気かだが、そのポイントとして注目すべきなのが粛清人事である。

トランプは、米朝首脳会談を前にティラーソン国務長官を更迭してポンペイオCIA長官に入れ替えた。ティラーソンが悪いわけでないが、ややこしいときに独自の動きをする可能性を否めない。

また、駐韓大使に最初は、昨年12月、米戦略国際問題研究所(CSIS)のビクター・チャ韓国部長をいったん駐韓大使に内定したが、対北朝鮮融和派であるとみられ、白紙に戻っていた。

トランプは駐韓大使に、対北・中国強硬派として知られる日系ハーフのハリス元太平洋艦隊司令官を充てた。オーストラリア大使に予定されていたが米議会での公聴会は中止。ハリス氏は中朝に厳しい姿勢で知られており断固たる姿勢を南北朝鮮と中国に示すのに最適だった。とくに、チャ氏は韓国系だけに、文在寅政権と結託する可能性がありよろしくなかったので良い人事だった。

一方、金正恩は叔母の夫である張成沢を粛清して死刑にしたし、実兄の金正男をクアラルンプールで暗殺したようだ。

とんでもないことをするものだという印象だったが、いまになると、これが効いている。金正恩の対米接近を嫌っても中国もこの二人がいないから、かわりの指導者候補のカードがないのである。

そういう意味では、内部の異端分子の整理をした者同士の話し合いは、うまくいったら、非常に劇的な変化をもたらす可能性があるのだ。張成沢がいる限り、中国軍との関係をきってアメリカと組むなどあり得ないが、いまやそれが可能だ。

会津の松平容保は幕府を裏切った

松平容保(Wikipedia:編集部)

こういう話と好対照なのが、幕末の会津藩主にして、幕府の京都守護職だった松平容保の行動で、彼の幕府への意識せざる裏切りで幕末の政局は大混乱した。

そのあたりも、『江戸時代の不都合すぎる真実 ~日本を三流にした徳川の過ち』(PHP文庫)でも取り上げたのだが、こういうことだ。

松平容保は、しばしば幕府への「忠義」を貫いたものと称揚されることがあるが、それは間違いである。そもそも、保科正之が要求したのは、幕府に対する忠義だが、松平容保はしばしば一橋慶喜と組み、幕閣と対立して孝明天皇の意向に沿って独自の行動をした。だから、保科正之の遺訓に反していたのである。

本来、京都守護職の役割は朝廷を幕府の意向に沿って動かすことであるはずだが、容保は奇妙なことに、むしろ朝廷、というより孝明天皇個人の意向に従って幕府の方を動かそうとした。いわば、アメリカの註イラク大使がフセインとつるんだようなものだ。

容保は八月一八日の政変のあとの10月に「堂上以下、暴論を疎(つら)ねて、不正の処置、増長に付、痛心堪え難く、内命を下せしのところ、速やかに領掌し、憂患掃攘、存念を貫徹の段、全く其方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱、これを遣わすもの也」という宸翰と御製を賜り、朝敵となったのちもこれを肌身離さず持っていたことはよく知られているが、容保の勤王について私は異議はない。ただ、彼は幕府の意向に沿って天皇を動かすのが仕事だからおかしなことになった。

孝明天皇が攘夷を強行に主張される一方で、外国船砲撃という形で現実に攘夷を実行した長州を排撃し、攘夷を否定する幕府に政権を保持してほしいとされたことは、幕末の政治を大混乱に陥れていたのである。つまり、開国佐幕である江戸にとっても、数から言えばほとんどが尊皇攘夷が多い公卿たちにとっても迷惑なことだった。

本当に忠義であることは、その意向を鵜呑みにすることではない。容保は佐幕攘夷などないものねだりであり、幕府に政務を委任し続けたいなら開国を受け入れるべきだし、攘夷を貫きたいなら朝廷が自分で責任を持つしかないと、孝明天皇を説得するべきだったのである。そうでなければ、和気清麻呂でも逆臣だということにうなる。

つまり、京都守護職である容保が何の見通しもなく孝明天皇の意見を支持したことは、誰からも歓迎されず、国益を損ねもしたのである。

また、会津はその警察活動が京都市民の間でも不評だった。禁門の変でも長州兵を片端から処刑して勝海舟からも暴挙と非難されたほどである。会津藩が新撰組を配下に入れて使い、池田屋事件のときでも、新撰組はいきなり踏み込んでそこにいた志士たちを取り調べも裁きもなしで斬り殺した。

江戸時代でも警察権力は、それなりに法に定められた形で力をふるうことが常識だったのだから、各藩からも非常識だと非難囂々となった。捜査令状なしで踏み込んで、怪しいものの身柄を確保するのならいいが、それをいきなり片っ端から殺したのでは、正常な警察活動でない。これは禁門の変のあとの長州残党の始末でもそうで、恨まれても仕方ない。

どうしてそんな愚かなことを会津がしたかといえば、こういうことだ。藩士が自ら警察活動をすると死傷者が出る。会津は禁門の変で一番槍を入れながら死んだ窪田伴治は八石二人扶持だったのを四〇〇石に加増するなど大盤振る舞いをした。そうでなくとも、彼らの旅費や在京費用も高額であるから死傷者など出したくないし増員も避けたい。

一方、新撰組の農民や浪人出身の隊員たちは給与も少なく、場合によっては「自力」で市民から調達をして生活費も稼ぐし、運悪く死んでも少々の見舞金くらいですむから使い捨てが可能だった。幕府から役料五万石と三万両をもらったとはいえ、それでは足りない。そこで、安易に非正規集団である新撰組などをいわば民間委託として安く使ったのであって、イラクのアメリカ軍が民間の軍事企業を下請けに使って同様のことで非難されているのとよく似ている。

会津武士はたとえば、遊里で遊んでも財布のひもは固く、それも評判の悪さの原因だったようだ。そのあたり、長州人はなにごとにも金払いがよいという評判だった。坂本龍馬でもそうだが、志士たちも、公金の扱いなどではクリーンといいかねるが、民間人への支払いはきれいだった。

民衆に評判がいい軍隊の最大の要件は金払いの良さであり、無用な徴用をしないことなのだが、会津はそうでなかったし、長州の影響が強かった明治の日本軍はきれいだったが、賊軍出身者などが対応した昭和の日本軍はしばしば行儀が悪かった。

江戸時代の「不都合すぎる真実」 日本を三流にした徳川の過ち (PHP文庫)
八幡 和郎
PHP研究所
2018-06-05
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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