「河野外交」と呼ばれる日は来るか

2018年07月07日 11:30

河野太郎外相(55)が4日から7日の間、オーストリアとポーランドを歴訪する。オーストリアでは5日、国際原子力機関(IAEA)で天野之弥事務局長と会見し、北朝鮮の非核化への費用負担の意向を通達し、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)のゼルボ事務局長とも会談した。同日正午過ぎ、オーストリア外務省でカリン・クナイスル外相(53)と会見した。当方は両外相との会見後の写真撮影に顔を出した。

▲河野太郎外相とクナイスル外相(2018年7月5日、オーストリア外務省内で撮影)

オーストリア外務省の記者会見場には常連のカメラマンが来ていた。その中にはオーストリア国営放送のカメラマンもいた。日本側からはNHKと共同通信、それにウィーンの情報誌編集長が来ていたが、他の主要な日本メディアの記者たちの姿は見えなかった。当然だろう。河野外相から宿泊ホテルで2回、会見内容のブリーフィングを受けるから、写真撮影に付き合う必要はないからだ(天野事務局長との会見内容は既に報道済みだから、ここではカットする)。

ちなみに、河野外相と東京から随伴した記者はNHKと共同通信の2社だけだった。他はウィーン特派員が担当。昔は外相級の外遊となれば、東京から多くのメディア関係者が随伴したが、「最近は経費削減ということもあって、特例を除いて随伴する記者は少なくなった」という。

日本メディア関係者は、「1面を飾るような記事が可能な場合、取材許可が出るが、そうではない場合、取材経費は出ないから、外に飛び出して取材できない」と、その台所事情を語ってくれた。日本のプリント・メディアはネット・メディアの進出に押されて財政的に厳しいわけだ。

河野外相がクナイスル外相と共に登場した。両外相は流ちょうな英語で記者団に挨拶。河野外相の英語が分かりやすい上、自然な喋り方に驚いた。当方は、河野外相を取材するのは初めてだった。外相の略歴をみると、米ジョージタウン大学で比較政治学を学ばれているから、当然だ。日本とオーストリア両国友好150周年を迎え、両国関係を今後さらに深めていきたい、といった内容の挨拶をした。

ところで、両外相が記者会見室に来る前、オーストリアのカメラマンたちが、「日本の政治家といえば、安倍(晋三首相)しか知らない」と言っていたのが聞こえた。当方も日本の全閣僚の名前は知らない。欧州の国民が知っている日本の政治家といえば、寂しいことだが、安倍晋三首相だけだというわけだ。

一般人の記憶に残るためには、最低でも3年から5年の任期が必要だろう。ある一定の任期を全うしないと誰にも憶えられない。国際社会での政治家の知名度は国益にもなる。人気取りではないが、著名な政治家はそれだけで国際会議でプレゼンスが発揮できるからだ。

クナイスル外相の場合、ドイツ語、英語のほか、得意の外国語はアラブ語だ。クナイスル外相がアラブ出身の難民にアラブ語で話しかけた時、その難民は非常に驚いたという話が伝わっている。それほど、外相は完全なアラブ語で話したからだ。

河野外相の場合、どうだろうか。英語で外国の政治家とは自由に対話できる。ただし、日本の場合、個人の名前が付けられるような外交ができるだろうか。外相が自身の考え、カラーを発揮した外交が展開できるかだ。多くの制約があるから、現実的には難しいのではないか。

ベトナム戦争の和平貢献や米中の接近を実現したヘンリー・キッシンジャー米国務長官(当時)のデタント政策は「キッシンジャー外交」と呼ばれた。欧州では冷戦終結の立役者になる一方、欧州統合を推進したハンス・ディ―トリヒ・ゲンシャーの18年間の外交は「ゲンシャー外交」と呼ばれた。それでは、「河野外交」と呼ばれる日が来るだろうか、と考えた。そのためには、アイデアとビジョンが重要となる。

両外相は記者たちとの写真日程を終えると、昼食会のため出ていった。暑い夏の昼下がり、当方は日本の政界でも「河野外交」と呼ばれる独自外交が可能かについて考えながら外務省を後にした。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年7月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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