面従腹背の元文科次官も危惧する「一線を越えた」道徳教育

2018年07月11日 06:00

インターネット国会中継より

小学校では今年度から、中学校では来年度から、道徳の教科化が始まります。その教科書や指導書を見ると、これは今までの教科書(正確には教科書と言わず、副読本と呼んでいました)と一線を画するコンセプトが読み取れます。

元文科事務次官も今さら危惧する道徳教科書

元文科事務次官の前川喜平氏は、道徳教科書にかんして以下のような記述を問題視しています。

教育出版の1年生用の「小学どうとく」には以下のような記述がある。
「つぎのうち、れいぎ正しいあいさつはどのあいさつでしょうか。
1 「おはようございます。」といいながらおじぎをする。
2 「おはようございます。」といったあとでおじぎをする。
3 おじぎのあと「おはようございます。」という。」
(木村草太編「子どもの人権を守るために」所収 道徳教育「道徳の教科化」がはらむ問題と可能性)

元事務次官氏も、いったい誰がどこで決めたのか、「悪しき正解主義」と切り捨てています。正解は2ということですが、わたしもアルバイトの研修だか新入社員研修だかで習った記憶があります。企業研修が小学校におりてきたのね、と思うとちょっとした笑い話です。ただ、元事務次官氏が率いた組織が、「面従腹背」によって制作した教科書だという反省は見られませんが。

道徳の教科化の経緯

2006年、教育基本法に愛国心が盛り込まれました。これにともない、道徳の教科化も成立しました。成績評価も実施されます。

教科書検定では、愛国心との兼ね合いか、パン屋が和菓子屋になったり、アスレチックの公園が和楽器店になったりと訂正させられことが話題になりました。これを問題視する向きもありますが、忖度しすぎてビミョーな点がいじくりまわされるという、会社などでもよく見かける日本社会特有の「ご愛嬌」ではないかと思っています。

戦後、日本では「教育勅語」や「修身」に対する反省から、道徳を教科として教えることはありませんでした。第二次世界大戦後、GHQがその内容を問題視して、廃止されました。

しかし、その後、道徳ができました。「教育勅語になってはいけない」ということで、教科にはしないという前提で始まりました。

わたしが、今回、おやと思ったのは、今まで道徳の教科書のお話と言えば、価値観を押しつけてはいけないという配慮から、「なにが言いたいのかまったくかわからん」というのが相場だったのですが、今回はかなり明確に「こう読み取るべきだ」ということが明示されており、その評価規準も記されてあります。

ただし、道徳の教科化によって、「教育勅語」の復活とはわたしは思っていません。

「正解主義」のほんとうの問題点

けれども、こういう場面ではこう感じるべきだという「日本人の空気を読む力」みたいなものは強化されるのではないかな、と思います。これは、日本ローカルでは便利かもしれません。場合によっては、みんなが同じ空気を読んで、マナーを守れば、日常生活が快適になることもあるでしょう。

ただし、「この場面ではこう感じるべきだ」という教育は、多様性やグローバル化という面からは、時代を逆行するものではないかと思われます。その場面で適切な対応や、気持ちの受け取り方は、人によって、文化によって千差万別になるのではないでしょうか。つまり、日本に内向きに閉じこもっていいんだ、「日本はガラパゴスでいいんだ」という宣言というか、ダイバーシティの否定になってしまう気がしてならないのです。

もしかしたら、それを望んでいるのは、われわれ日本国民じしんかもしれませんが。

結局は現場裁量の丸投げか

前出の元文科事務次官氏は、さいごにこう言います。

文部科学省や教育委員会が許容する範囲内でも、学習指導要領や検定教科書が提示する「道徳的価値」を逆手にとって批判的に捉え、工夫次第でいろいろなことができる。要は、現場の主体的な取り組みにかかっているのである。

なんだ、結局責任を現場に丸投げしてるのね。

道徳の時間をなにも教えず空費するのが、責任感のある教員の身の処し方でしょうかねえ・・・あ、これってまさに面従腹背じゃないか!

中沢 良平(元小学校教諭)

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