政府が本気になった「燃やさない産業革命」で日本は3回蘇る

2018年07月30日 06:00

先月15日に首相官邸から発出された「未来投資戦略 2018―「Society 5.0」「データ駆動型社会」への変革―」を読み大きな感動を覚えた。そこに書いてある内容も素晴らしいが、私が感動したのはそこではない。

2つのことが書いていなかったからだ。

それは「燃料電池車を含めた水素サプライチェーンの構築」と「超超臨界石炭発電」だ。

私は昨年まで勤務していたアジア開発銀行(ADB)で上席気候変動専門官の席にあった時、途上国電力セクターの政府要人を日本にお連れして、日本最先端技術をご覧いただく機会を積極的に設けていた。あまりにも頻繁にやりすぎて中国人や韓国人の上司の顰蹙を買ったが意に介さなかった。

そこで、日本政府と視察先を事前に打ち合わせするのだが、政府側は決まって、「水素」と「超超臨界石炭発電」を押してきた。それは2017年まで続いた。ADBはというか、途上国の人々は電気自動車について勉強したかったのにだ。横浜市磯子区の住宅地近くにあるJPowerのクリーンな最新鋭の石炭発電所や、水素ステーションを必ず見学コースに入れて、我々はその素晴らしさを喧伝した。

2017年11月にドイツのボンで開催中された「第23回国連気候変動枠組み条約締約国会議」(COP23)で、日本は気候行動ネットワーク(CAN)という組織から2年連続で「化石賞」を受賞した。受賞理由は、日本が2017~18年に東南アジアや南アジアへ石炭火力発電所等の輸出を目指すとしたことからだ。

日本政府の言い分は筋が通っていた。

「いくら再生可能エネルギーが普及したと言っても、まだまだ途上国は石炭火力発電がないと人々の暮らしを豊かにできない。どのみち作るんだったら、できるだけCO2を出さない超超臨界を導入すべきだ。」

完璧なロジックだ。

しかし世の中は合理性だけでは動かない。欧州を中心に「何が何でも再生可能エネルギー」というグリーン経済を強硬に主張するコンセンサスが2010年代前半にすでに形成されていて、2016年12月に、インドですら今後10年間の間に石炭火力発電の新設をゼロとすると宣言して日本は完全に疎外されていた。

もう一つは「水素」だ。自動車検査登録情報協会によれば、2017年末時点での日本の燃料電池車の保有状況は全国で乗用車1807台、バス5台、トラック1台の計1813台。その大半が行政、法人で、個人ユーザーはごく少数と見られる。欧州が、カリフォルニアが、中国が雪崩を打ったように電気自動車開発に舵を切る中で、日本政府は、「水素社会」を推し、電気自動車に力を入れていないのは明らかだった。今年の3月にはトヨタ、日産、ホンダの3社ら計11社が、FCV(燃料電池車)向けの水素ステーションの本格整備を目的とした新会社「日本水素ステーションネットワーク合同会社」を設立している。ただ、とても順調とは言えない。

君子豹変すとはこのことを言うのだろう。「未来投資戦略 2018―「Society 5.0」「データ駆動型社会」への変革―」にはあんなに押していた「石炭発電」の文字が全く出てこない。また、「水素」についてもそれなりには言及されているが、明らかにトーンダウンし「電気自動車」が全面に出した書き振りだ。

さらに、今月24日のNHKニュースを見て仰天した。「世界で販売の日本車をすべて電動車に 2050年までに達成へ」と言うニュースの書き振りをご覧いただきたい。どう見ても電気自動車が前面にあって燃料電池車のウエイトが低い。

電気自動車を普及させるEVシフトが世界的に進む中、経済産業省は、2050年までに、世界で販売する日本の乗用車をすべて電気自動車やハイブリッド車といった電動車にする目標を正式に決めました。

24日、経済産業省で開かれた今後の自動車戦略を検討する会議には、トヨタや日産、ホンダなど自動車メーカーのほか、大学教授などの有識者が集まりました。

この中で、長期的な目標として、2050年までに日本の自動車が排出する二酸化炭素などの温室効果ガスを、2010年に比べて8割程度削減することを決めました。

これを達成するため、2050年までに世界で販売する日本メーカーの乗用車を、すべて電気自動車やハイブリッド車、それに燃料電池車といった電動車にすることを目標とし、産学官が連携して新しい電池やモーターなど次世代技術の開発を進めるとしています。

歴史を紐解けば、日本の近代史は欧米の「産業革命」をキャッチアップ し、追い抜くものであった。1776年に英国のジェームスワットが蒸気機関を発明し産業革命が起きる。その約100年後に、ペリーが黒船に乗って来航し、1868年に明治維新を引き起こす。明治維新は、世界でも稀に見る無血革命であり、西郷隆盛がその平和的な近代国家の樹立に貢献したという説があるが、それはそれで事実でもあるが、その背景には日本独特の集団での空気感の醸成というかコンセンサス形成のメカニズムがうまく働いたのだと思う。

当時の日本は攘夷論が優勢だった。実際、1863年に薩英戦争が起きた。1862年に発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、攘夷実行の名目のもとに兵制の近代化で培った実力でこれを阻止しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で3日間激突した。薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死や戦艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて英国と薩摩国の双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。

あれほどまでに根強かった攘夷論をわずか3日の戦争で「これは戦えない」と悟り、融和に切り替えた。よく言えば「機転がきく」悪く言えば、「変わり身が速い」である。そして何より重要なのは、その変換は誰か個人のものではなく(もちろん藩主島津茂久が最終的には決断したのだろうが)、「機運」というか「空気感」が変わったということで転身したことだ。いわば阿吽の呼吸である。

1863年と64年に長州藩が起こした下関戦争も同じである。イギリスに留学していた長州藩士伊藤俊輔井上聞多は四国連合による下関攻撃が近いことを知らされ、戦争を止めさせるべく急ぎ帰国の途についた。イギリスの国力と機械技術が日本より遙かに優れた事を現地で知った二人は戦争をしても絶対に勝てないことを実感していた。しかし、戦争は起きあえなく敗戦。それを受けて長州藩は攘夷が不可能であることを知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動をおし進めることになった。ここでも「これは勝てない」という空気感が藩内で形成された。

さて、明治維新以降、政府の富国強兵政策で、日本は欧米の産業技術の移入に邁進することになり、明治・大正時代に国力は飛躍的に伸びアジアで唯一帝国列強の仲間入りをする。一言で言えば、日本人は、蒸気機関により「燃やす」機械を作り、運転する技術が大変優れていた。だから、100年の遅れを取り戻すことができた。

しかし、その後、様々な経緯を経て第二次世界大戦で敗戦する。焼け野原からの二回めの復活チャレンジである。ここでも、日本人はそれまで「一億火の玉」「鬼畜米英」とか言ってたくせに、ころっと寝返る。「あれは間違った戦争だった」。戦争に正しいも間違いもないのに、この前向き志向は一体なんなんだ。そして日本の製造業は非常にうまくやった。そこでアジアの奇跡、高度成長時代に突入する。代表的な産業、自動車である。その製造技術の中核にあったのが、高性能ガソリンエンジンをである。

先日私は、大手自動車会社の人から、量産車のエンジンの原価を聞いて、そのあまりの安さに驚愕した。恐るべし日本の自動車産業である。それは、せっかく培ったエンジン技術を捨てたくないのは当然だ。石炭発電にしてもそうだ。中国や韓国には真似のできない「燃やす技術」を究め尽くした。

欧米が「燃やさない」と宣言して産業のルールをかえた底流には、日本の「燃やす技術」の突出があることはおそらく間違いない。そこで、メルケルとオバマが2000年代中盤にグリーンエコノミーを唱え始めたわけだ。そこに中国が乗っかってくる。これなら日本に勝てるだろうと。

日本は、あまりにも「燃やす技術」が優れていたために、このような世界潮流に乗り遅れた。しかしである。実は、太陽光発電はメガソーラーから分散化のマイクログリッドの時代に移ろうとしている。さて、こうした分散型太陽光発電システムを最初に提唱したのはどなたかご存知だろうか?

それは京セラ株式会社の稲盛和夫氏名誉会長である。稲盛名誉会長は、昨年12月に太陽光発電協会(JPEA)の30周年記念式典で初代代表として以下のように語っている

私が太陽電池の事業化に取組始めましたのは、第一次オイルショック後の1975年に遡ります。当時は、石油代替エネルギーの必要性が世界的にも注目されていました。しかし、その後に続く1980年代は石油需給も緩和し、太陽電池産業に取りましては冬の時代が続きましたが、諦める事無く事業を続けて参りました。オイルショック後の極めて厳しい経済環境下でも、太陽電池という難しい事業を続けて来られたのは、そこに「明確な大義」があったからだと思います。「世のため人のため、将来必ず太陽光発電が不可欠になる時代が来る」との信念が事業の継続を支えてくれたのです。

氏はこのようにも語っている。(一部抜粋)

最後に次世代の皆さんへ伝えたいことを三つ申し上げたいと思います。まず、第1に申し上げたいのは、太陽光発電の目的、意義を明確にし、堅持することです。

太陽光発電には公明正大で明確な大義があります。太陽光発電を通じて地球環境を守り、持続可能な社会を構築し、脱炭素社会を実現する事で、美しい地球を次世代に引き継いでいくという大義です。

第2には、「足るを知る・利他の心」という思想を根付かせることです。 人間の欲望には際限がありません。

3番目にお話ししたい事は「成功するまで諦めない」という精神です。 新たな事業を成功させる時もそうですが、新たな社会構造を創り出していく為には、不屈不撓の精神力が必要です。

他国の誰が、このような崇高な言説を唱えられるであろうか。氏は43年も前に、世界の誰よりも早く分散型太陽光発電システムの到来を予見し、不屈の精神で「燃やさない産業革命」を進めてきたのだ。私は、圧倒されて言葉が出ない。ここで重要なのは、太陽光発電システムは、太陽光パネルの価格で勝負が決まるものではなく、それはシステムの一部に過ぎず、しかも、その構築よりも運用で差がつくのだ。このような細々したところは日本人の得意とする分野だ。

日本太陽光発電協会Webサイトより

そして、6月の閣議決定だ。色々な利害関係者のしがらみを乗り越えて、安倍政権は英断を下した。「燃やす革命」と「燃やさない革命」のどちらが優れているというのではなく、世界が日本を「燃やさない革命」で包囲しているわけだ。

これで一気に、日本の電力産業と自動車産業や日本社会の「空気感」は「燃やさない革命」の実現に向けて醸成されていくだろう。僕は、将来を大変楽観視している。

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酒井 直樹
株式会社電力シェアリング代表

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