学校クーラー問題は民主主義の試金石 --- 勝沼 悠

大阪・泉佐野市立小学校サイトより引用:編集部

猛暑が続き、各地の学校で熱中症による被害がニュースになっています。先日は豊田市の小学校で校外学習中の1年生が熱中症で亡くなり、学校のクーラー設置の是非が大きな議論になりました。これだけの猛暑の中、学校のクーラー設置が進まないのは学校という場所が頭が固く変化を嫌うからだといった意見もよく見られます。しかし、私は学校現場に身を置いてきた人間として、学校が変わらないというのは必ずしも正しい認識ではないと思います。

実は学校は市町村単位、学校単位、クラス単位でかなりの変革をできる余地があります。学校のクーラー設置が県や市町村によってかなりの開きがあることは連日メディアでも伝えられ、多くの人が知っていることでしょう。

クーラーだけではありません。県や市町村によって学校の取り組みはかなり違いがあります。秋田県が全国学力テストで一位を取っていることは秋田が県を上げて独自の学力向上の取り組みをしているからです。そこまで大規模なものでなくても、学校現場では校長がリーダーシップを取って学校独自の取り組みをするとか、担任の先生主導で個性的な授業をするといったことがよく見られます。今クーラーが置かれていない学校も決して何も方法がないわけではありません。

正式な予算でクーラーを取りつけるのは難しいとしても、PTAなど正式な予算外からクーラーを取りつける選択肢もあるでしょう。クーラー設置が難しくても、授業の時間や日にちを動かして柔軟に対応する、クーラー以外の冷房機器を検討してみるなど、多くの手があるはずです。

先日、スウェーデンについて話を聞く機会があったのですが、高福祉高負担のスウェーデンでは他にも日本と違うところが多くありました。その一つが選挙の投票率です。罰則はありませんが、投票率は常に80%以上。市民の政治参加に日本と大きな差があります。スウェーデンでは子どもの頃からの学校で政治教育をしたり、政治参加、社会参加のシステムが確立しているからです。

日本の投票率が低いのは、子どもの頃に自分達が動くことによって社会や学校が変わるという経験に乏しいからではないでしょうか。しかし、実際には日本でも子ども達や保護者、先生が動くことで学校が変わる可能性はあるのです。

学校クーラー問題は民主主義の試金石となるものではないでしょうか。夏休み明けまでまだ時間はあります。みんなで声をあげてみませんか?

勝沼 悠   専門健康心理士
桜美林大学大学院修了後、15年に渡りスクールカウンセラー、教育相談員など、教育現場や医療現場で心理職として働いています。