「悪」の系図と神のファミリー物語

朝の光が雲の間から降り注ぐ瞬間(2018年7月27日、ウィーンで撮影、ブログ「ウイーンからカミちゃんのつぶやき」から)

新約聖書の最初の福音書「マタイによる福音書」第1章を読破するのは大変だ。見知らない名前が長々しく羅列されているから、この章を読破するには大変な忍耐が必要となる。イエスの系図だ。メシアが霊的降臨だったら、系図は不必要だ。「イエスは天から降臨されました」で全て終わりだ。しかし、イエスは肉体降臨されたのだから、どうしても系図が出てくる。

イエスの父親は誰、母親は誰、といった素朴な疑問がわいてくる。奇妙なことだが、そのイエスの系図には数人の「妾」の名前が出てくる。当方がイエスの系図の書き手だったら、読者を不必要に混乱させるよう内容はそれが事実だったとしてもカットするかもしれない。「マタイによる福音書」の書き手はそれを書いた。その点だけでも、聖書が神の霊に導かれて書かれた聖典であることが分かる。ひょっとしたら、マタイ自身もイエスの系図に「妾」が紛れ込んでいたことには気が付かなかったのかもしれない。

イエスの系図が記述されているとしたら、イエスの対抗役を演じる悪魔の系図は記述されているだろうか。聖書には約300回、「悪魔」という表現が出てくるが、悪魔がどこから生まれたのか、その系図にはまったく言及されていない。聖書の書き手が解釈するだけで、イエスの系図のような詳細な情報はない。

悪魔は知恵者だから、自分の正体が分かるようなことはしない。「悪魔は存在しない」と思わせたほうがいい。自身の存在を否定することで神、そして霊的世界の存在も否定できる。自己顕示欲が強い悪魔だったら自分の存在を否定することに耐えられないだろうが、その点、悪魔は大人だった。自分を否定する代償に神の存在をも否定しようと密かにディールしたわけだ。その悪魔の狙いに気が付いた神の業績を綴る書き手は急きょ、イエスの系図を記述することにしたのではないか(もちろん、全ては当方の推測だ)。

神と悪魔が同時に存在していたら、2元論の世界だ。人間の歴史はその神と悪魔の闘争の戦場と見る以外にない。人間が平和を求めたとしても無駄だ。宿命論が広がっていく。
そこで「神の創造説」が生まれてきた。神は宇宙、万物世界を創造されたが、悪魔が生まれてきた。その悪魔は神に挑戦し、神の息子、娘を惑わせたというキリスト教の世界観だ。

キリスト教世界観でもどこから悪魔が生まれたかで様々な解釈がある。一般的な説は、神がアダムとエバを創造した後、神が自身の似姿として創造したアダムとエバを愛する姿をみて大天使ルシファーが強烈な嫉妬を感じ、先ずエバを誘惑したという「エデンの失楽園」の物語だ。その悪の実は人類最初の殺人事件、カインのアベル殺害で成就していく。

ルシファーからアダム・エバに悪の種が入り、最初の子・カインからその後誕生した全ての人類はその悪の手先となって広がっていったというわけだ。イエスは「あなた方は自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおり行おうと思っている」(「ヨハネによる福音書第8章44節)」とバッサリと切っている。

参考までに、神のファミリー問題を指摘する考えもある。神は光を創造するために妹の“暗闇”を閉じ込めた。その際、神は息子ルシファーの手助けを受ける。終末の時、暗闇は取り込まれていた世界から脱出し、兄の神が創造した世界を破壊しようとする、といったストーリーだ。神に妹、息子が存在したというのは通常のキリスト者には理解できない話だが、悪の起因は神のファミリーの抗争にあったという説は非常に興味深い。神のファミリー物語はこのコラム欄でも紹介した米TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)11シーズンのメインテーマとなっている話だ。現代版、ギリシャ神話ともいえる。古事記にもよく似た話が伝えられている。

「スーパーナチュラル」の主人公ディーンは涙を流しながら神に問い詰める。
「あなたはどこに行っていたのか? あなたがいなくなった後、長い歴史の中で疫病、戦争、虐殺が繰り返され、多くのあなたの息子・娘が死んでいった。あなたはそれを知っていたのか」

神は答える。
「私は知っていた。あなたの憤りは分かるが、私は久しく関与してきたのだ。私は教え、刑罰を与えてきたが、それを続けても人間には発展はなかった。人間のする業に親が干渉しすぎても何も変わらない。逆に自分の力ででやらせた方が人間は学び、問題を解決できるようになるかもしれないと考えたのだ」

感動的なシーンだ。全知全能の神が困窮下にある人間を救済しなかった理由について納得できれば、ひょっとしたら、神と人間は和解できるかもしれない。同時に、神がルシファーを愛していたという事実が明らかになれば、悪の系図に終止符を打つことができたかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年8月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。