怒涛の一年間:いまの野党混乱の端緒は旧民主党執行部の共闘路線

2018年08月09日 06:00

暑中お見舞い申し上げます。

連日の猛暑で、体調を崩されぬようご自愛ください。

いよいよ甲子園が始まったが、昨年の今頃を思い出せば、都議会で小池さんが第一党を奪取し、都民ファーストの名前が轟き、民進党は戦略なき大敗北を喫して、蓮舫代表が辞任してしまった頃だ。民進党は代表選挙に突入していった。

今はもう既に民進党は消えて無くなり、蓮舫氏は離党した上、昨年の代表選挙で敗北した枝野氏が率いる立憲民主党に所属している。その代表選挙で勝利した前原氏は希望の党への合流を図り、その希望の党も崩壊して国民民主党となった。他にも元民進党の無所属議員が沢山いるというよく分からない有り様だ。

私自身は、昨年の衆院選において、立候補に際し、党の決定(希望の党への合流)に造反したため、離党届けを提出して無所属で立候補して勝ち上がった。総選挙が終わった時点で、完全に無所属となっていたので、その後の野党の有り様を他人事として見ている。
完全無所属なのだから、当然だ。

そんな立場で眺めていると、野党は与党の数の横暴を許さない!とよく言うが、独りである私には事前でも事後でも何かしら連絡なり、相談があるわけではない(仕方のないことと受け止めているけれど)。せめて、ここ一番で一緒に行動してほしい時などは、依頼なりがあるのが普通だと思いたかったのだが、それも全くない。むしろ梯子を外されたことがあったくらいだ。

となれば、私から見れば、野党が決めたことには黙って従え、的に思えてくる。つまり間違いなく数の横暴である(笑)。

そう思うと、言ってることとやってることが違うとことを見せつけられている気がして、かえって自分自身の座標軸を大切に、付和雷同せず行動していこうと強く思う。

ところで、今の野党の混乱は、私が思うに2015年に安倍政権下で安保法制が議論される中、当時の民主党執行部が共産党を含む野党共闘路線に舵を切ったことが発端だと思っている。

安保法制審議当時、国会前デモで野党共闘をアピールする岡田氏ら(旧民主党公式サイトアーカイブより:編集部)

そこから日本維新の分裂、民進党の誕生、その直後、2016年7月の参院選から本格的な野党共闘路線に入った。その間、私は周囲と異なり首尾一貫して独自路線を追及した。もちろん様々な意見を述べ行動してきたが、党人として決まったことには従ってきたつもりだ。昨年解散した時に造反するまでは。

総選挙が終わった後も、全国に先駆けて「新潟県民の連帯」という枠組みをつくった。しかしそれも、米山知事の辞任をきっかけに雲散霧消した。

努力はしてきた積もりである。しかし、自分を取り巻くものがどんどんなくなっていく。党の消滅、米山知事の辞任、「県民の連帯」の雲散霧消。

この間、自分の努力の方向性が間違っていたとは思わない。ただ、努力を続け筋を通していたら、いつの間にか完全無所属の立場になっていただけだ。だからと言って、政党政治に鑑みて、ずっと完全無所属でいるわけにはいかないとも思う。

いつかこの怒濤の1年間、特に野党共闘路線との格闘や、土壇場での覚悟なり行動、今後の展望をしっかりと文字で残そうと思っている。


編集部より:この記事は、衆議院議員の鷲尾英一郎氏(無所属、新潟2区)の公式ブログ 2018年8月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は鷲尾英一郎の日記をご覧ください。

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鷲尾 英一郎
衆議院議員(無所属、新潟2区)

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