ほんとうの歴史教科書問題は国語の教科書にある

2018年08月15日 11:00

1945年の竹槍訓練の様子(wikiより)

歴史教科書問題とは何だったのか

90年代から2000年代にかけて歴史教科書問題は、歴史認識問題として中国・韓国との外交問題となってきました。中国・韓国に配慮がある教科書が目立ち、中国・韓国が外交問題にする可能性がある部分には検定意見はつけないというようになっているようです。

そんななか、2001年に教科用図書検定に合格した『新しい歴史教科書』(扶桑社) は、中学校社会科の歴史教科書として、新しい歴史教科書をつくる会によって執筆されました。
この教科書は話題になりましたが、大江健三郎氏らリベラル知識人によって批判の対象となり、ほとんど採択されませんでした。

これは歴史修正主義の問題なのでしょうか。われわれの戦後世代の歴史観は、歴史教科書によって作られたのでしょうか。

正直、高校レベルまで、特に近現代史をしっかり勉強する日本人はかなり少数だと思います。それよりも、小中学校の国語教科書に毎年のように登場する「歴史観」が、日本人の戦後の歴史観に多大な影響を与えているように思います。

「一つの花」に見る戦争責任の放棄

たとえば、「一つの花」という作品があります。これは小学校4年生の国語の教科書に載っている作品で、子供時分に読んだ記憶の方も多いのではないかと思います。

「一つだけ、ちょうだい」
これが、ゆみ子のはっきりおぼえた、最初のことばでした。

ゆみ子は、まだ片言しかお話できない小さい女の子です。おとうさんとおかあさんと一緒に暮らしていましたが、小さいゆみ子の口癖は、「一つだけ」「一つだけちょうだい」でした。

食事やおやつなど、ゆみ子が欲しがっても、おかあさんは十分に与えることができません。

それでも、おかあさんは、「一つだけね」と自分の分をゆみ子に分けてあげるので、いつのまにか、「一つだけ」という言葉がゆみ子の口癖になってしまいました。

毎日、てきの飛行機がとんできて、ばくだんを落としていきました。
町は、次々に焼かれて、灰になっていきました。

敗戦色が強くなっていったある日、とうとう、体の弱いおとうさんにも赤紙がきました。おかあさんとゆみ子も、出征するおとうさんの見送りに行きました。

おかあさんは、貴重なお米をでおにぎりを作りましたが、駅につくまでに、ゆみ子は「ひとつだけ」と何度も欲しがってぜんぶ食べてしまいました。

ゆみ子とおかあさんのほかに見おくりのないおとうさんは、プラットホームのはしのほうで、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや、軍歌の声にあわせて、小さくばんざいをしてたり、歌をうったりしていました。まるで、戦争になんか行く人ではないかのように……。

いよいよ、おとうさんとの最後の別れの時間が迫ってきたときに、ゆみ子はまた「ひとつだけちょうだい。おじぎりひとつだけちょうだい」と泣き出しそうになります。

おかあさんは、すっかり困り果てていましたが、おとうさんは、一輪咲いていたコスモスの花をゆみ子に持たせ、「ひとつだけのお花、大事にするんだよ」という言葉を最後に汽車に乗り込み、そのまま帰らぬ人になりました。

それから、十年の年月がすぎました。
ゆみ子は、おとうさんのかおをおぼえていません。自分におとうさんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。

でも、いま、ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいにつつまれています。
きょうは、日曜日、ゆみ子が小さなおかあさんになって、お昼を作る日です。

国民はいやいや戦争をしていた?

不思議なのは、このお話の時点で、戦争は悪いものだ、戦後はいい時代になるということを確信している点です。そりゃ国民の中にはそういった考えの人もいたでしょうが、多くはマスコミと一緒にイケイケどんどんだったのではないでしょうか。この記述は、「戦争は国民とは関係ない災厄だった」という誘導ではないでしょうか。

たしかに、朝鮮戦争時に書かれた物語で、焼夷弾が降ることもないし、出征をしたりしなくてもよいんだ。二度とそんなことはあってはならないと願い書いた優れた物語とも言えるでしょう。

ただし、ゆみ子のおとうさんのように、小中学校での教科書の中の戦中の主人公は、みんな戦争の犠牲者として登場していて、読んでいる子どもは、すんなり「戦争はひどい、してはいけない」と絶対平和主義に染められてしまいます。

このように日本人一般にはあんまり責任がなかった、ふってわいたような災難だったという記述は、日本人の戦争の認識をこんがらがらせるのではないでしょうか。

マスコミや一般世論に押されて戦争が始まった面も大きかったと思います。

日教組の欺瞞は国語教科書と共犯関係

日教組からも、「憲法9条を守れ!アベの暴走を許さない」みたいな露骨な署名がしばしば回ってきましたが、では日教組は「非武装中立」でいこうというのでしょうか。そんな人たちでも自衛隊の存在は合憲だと思っているでしょう。解釈改憲こそが危ないという認識をもたず、戦争は自分たちでえらんだという認識がなければ、また同じ過ちを繰り返すことになると思います。

「過ちは 繰り返しませぬから」

中沢 良平(元小学校教諭)

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