関空25年目。紆余曲折を経てインバウンド効果満開に

2018年09月04日 06:01

(5日追記:編集部より 本エントリーは9月3日までに太田氏より寄稿いただきました)


関西国際空港がきょう(9月4日)で開業25年目を迎えました。私が大阪府知事に就任したとき、もっとも大きな課題の一つが、2本目の滑走路をつくる「二期工事」の成功でした。

今でこそ訪日外国人が3000万人に迫る勢いですが、当時は日本全体でも500万人に満たず、何よりも景気がどん底。マスコミでは二期工事の延期論がたびたび報じられる等、大変な逆風にさらされたことを思うと、当時の関係者の苦労が実ったことに感慨もあります。

25年目を迎えた関西国際空港(Wikipediaより:編集部)

「大阪五輪」頓挫から逆風続きの二期工事

関空は1960年代、当時の航空自由化による航空需要の増加の流れから構想され、1987年に泉州沖で第一期工事が着手。1994年9月4日に開業しました。そして、二期工事は「21世紀初頭には処理能力の限界である16万回に達する」との予測から、その2年後に国の計画で決定されました。また、大阪市で1994年、2008年夏季五輪の招致が決定し、招致が実現した場合に国際便急増が予測されることもあって二期工事は不可欠でした。

そのころの私は、通産省に勤務し、1997年から2年間、岡山県に出向して副知事を拝命していました。まさかその後、政治の道にいくことになるとは夢にも思っていなかったのですが、ご承知のとおり、横山ノック知事の辞職を受けて2000年2月の知事選に出馬して初当選。関空とのご縁はそこからになります。

知事就任早々から二期工事は大きな試練にさらされました。2001年7月、2008年夏季五輪の開催地を決めるIOCのモスクワ総会で、大阪市は第1回投票で敗退。私も現地にいってつらい思いをしました。そして二期工事推進の「切り札」のはずだった五輪招致失敗で、工事を見直す意見が噴出した上に、当時の小泉政権が「無駄な公共工事はやめる」方針で、世相もそうしたムードだったことが逆風でした。さらには翌年6月、関空の需要予測の大幅な下方修正も追い打ちし、二期工事は一時、「延期必至」とまでささやかれました。

揺るがなかった私の信念と、勇気付けられた扇先生のお言葉

しかし、長らく続いた関西や大阪の経済を再び「離陸」させるには、関空の拡張により、観光や物流を活発にしてアジアとの経済ネットワークを進化するためのインフラをなんとしても整備しなければなりませんでした。とくに24時間運行が実現することで、夕方に大阪から出荷した部品が翌日午前中には上海で使えるといったことが期待できました。

だからこそ、その時点では景気がどん底でもいずれ持ち直してきたときに、航空需要急増に対応を迫られる時期が必ず来る。もはや信念に近いものがありました。

私は、二期工事延期論への見解を記者のみなさんからなんども尋ねられましたが、「大きな混乱が起きてしまう。百害あって一利なし」と突っぱねました。そして当時、国土交通大臣だった扇千景先生も「滑走路が一本しかないのは国際空港の名に恥じる。21世紀は観光政策が主要産業で、需要が回復してから建設するというのは主客転倒。玄関を用意してお客さんを待つべきだ」と、きっぱり言ってくださったことに(発言は当時の産経新聞より)、私も、大阪の人たちも、たいへん勇気づけられたのを覚えています。

こうして2007年8月、二期工事は完成にこぎつけました。紆余曲折をへて、関空の発展はさあこれからと期待もしましたが、私が2008年2月に知事を退任してから7か月後にリーマンショックが勃発。世界的に景気が後退したことで、インバウンド需要が打撃を受けました。関空の発着便数も、2008年に13万件に近づいたところから、2009年は10万8672件に激減します。

関西エアポート株式会社サイトより:編集部

不況からの「再離陸」は期待以上の浮揚

しかし、国内便の需要は底固く7万人台を割ることはありませんでした。ここで持ちこたえた後、アベノミクスによる円安効果やビザの規制緩和を追い風に外国人観光客が急増。また、日本で初めてLCC専用施設となる第2ターミナルを供用するなど、サービスの多様化も進めたことで2012年以降、関空の発着便数は毎年増加。昨年は19万件に迫るところまでに成長しました。知事時代の二期工事中に想定した数字を大きく上回り、プロジェクトをやりぬいた関係者の皆さんの尽力が実ったことをうれしく思います。

インバウンド消費の経済効果も期待以上。日銀大阪支店の調査によれば、外国人観光客の1日あたりの宿泊室数は4.8万。これは関西全体の客室数(15.6万)の3分の1に迫る勢いで、大きなインパクトを与えています。

現在の関空のにぎわいは、時代の流れに恵まれた側面もあるかもしれません。一方で、関空がもっとも逆風にさらされた時代を知るものとしては、公共インフラへの投資や工事実行にあたり、時流を見極める難しさもあらためてかみしめています。この事例で得た貴重な経験を、今後の政策づくりにいかしてまいりたいと思っています。


太田 房江(おおた ふさえ)参議院議員、自民党女性局長、元大阪府知事
1975年通産省(現・経済産業省)入省。2000年大阪府知事選で初当選し、日本初の女性知事に。2008年に知事退任後、民間企業勤務を経て、2013年参院選で初当選。厚生労働政務官などを歴任。公式サイトツイッター「@fusaeoota」

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