「自由」や「個性」について 10代の時に考えたこと

2018年09月09日 14:00

大地震の件もあり、札幌のことを想う今日このごろ。おかげさまで札幌市南区藤野の実家は、9月7日(金)の19時50分ごろ、やっと電気が戻った。1日半以上の停電は母にとって初めてだったのではないだろうか。一人で暮らしているので、不安だったことだろう。ホッとした。

昨日は、母校札幌南高校の集まりがあり。同窓会会報誌の企画で、座談会。外交官、大学教授(私とちがってカタギ、正統派)、私というトリオ。校則が少なく、私服通学OKだった札南で学んだことは何か、と。

たしかに自由な高校だった。これは高校時代の写真だ。なんでも、会報誌では卒業アルバムでのファッションをいじるという企画があるそうで。私は変わっていないかも。当時、背伸びして買ったSCHOTTのライダースジャケット。お年玉を使い、バーゲンで買った。6万円弱のものを4万5千円くらいで買ったと記憶している。当時はややサイズが大きめだったのだが、今はちょうどいいかも。こんな格好で高校に通っていた、本当に。

バンドと音楽鑑賞と読書ですぎていった3年間だった。あまり記憶がないのだけど、家族によると私は「暴走族に入らない、非行に走らない、不良少年」だったそうで。特に祖母や弟は私のことを心配していたようで。毎日、爆音でメタルを聴き、テレビでニュースを見るたびに権力、体制批判をするといういちいち、見た目と言動が過激だそうで。「あなたが兄で、本当に大変だった」と数年前に弟に面と向かって言われたことがある。ただ、母も弟も高校が一緒で。自由な空気を一緒にすってきた。

お酒を飲みながらの座談会というか、単に飲み会だったので。何を発言したかよく覚えていないのだけど。

私は、物書きになる、東京で大学生活を送るという夢への第一歩だと思って、それ以上に自由になりたくて札幌南高校に行ったのだけど。ふと思い出すと、「自由」や「個性」ということをひたすら考えた3年間だったように思う。尾崎豊の一連の歌詞ではないけれど、「自由」というものと向き合い続けたような。メタルTシャツやライダースジャケットを着てブーツを履いて楽器を背負って高校に通ったところで、自由になれた気すらしなかった。

個性に関してもそうで。なんせ、入学したその日に、忌野清志郎か、ストリート・スライダーズかというルックスの奴が一番前にいて。彼はDachamboというバンドで、フジロックや朝霧JAMなどに何度も出演している、青木篤だった。他にも自由奔放系はいっぱいおり。

中学校の受験勉強での成績がいいのは当たり前なので。それ以外に、何か光る個性があるかどうかという感じで。自分はなんて面白くないやつなんだろうと考え続けた3年間だった。

でも、あの日々があったから、大学に入っても、会社に入っても、物書き業界に入っても、たいていの人は札幌南高校の仲間ほどは面白くないので。自分を鍛える場だったのだろう。

いま、高校生だったら何をしたかという話になったけど、やっぱりブログとTwitterでオピニオンを発信しまくるんだろうな。

当時は、学級日誌に社会への怒りを書き綴る日々だった。懐かしいな。

というわけで、大事な原点の話。あの頃の熱い想いは、まだ残っているんだろうか。大丈夫、きっとあるさ。さ、原稿。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年9月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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