軍隊としての自衛隊の合憲性

2018年09月10日 12:00

9月10日発売号の雑誌『VOICE』に松川るい参議院議員との対談記事を掲載していただいた。外交通の実力派の若手国会議員で、メディアにも頻繁に登場している松川議員の方との対談の機会で、私としては非常に光栄であった。

記事の一部がウェブに掲載されているが、事前の予定では北朝鮮問題にも焦点をあてていくはずだったが、大きな外交視座の話をしているうちに盛り上がってしまった。さらに雑誌記事のほうでは、憲法改正の問題などにもふれている。

このブログでも何度か、改憲の本丸は、軍隊としての自衛隊の合憲性の確立であるだろうことを書いた。松川議員にも賛同していただけたことは、大変に心強い経験であった。

陸自公式Facebookより:編集部

現在の議論における改憲案の狙いは、私の理解では、憲法解釈の確立にある。冷戦時代から引きずってきたイデオロギー対立は、憲法解釈の歴史に不毛な負の遺産を作り出した。特に冷戦時代後期に進展してしまった談合政治型の発想によって、個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だ、といった類の憲法の条文からは読み取れない憲法解釈が流通してしまった(拙著『集団的自衛権の思想史』参照)。

憲法解釈の錯綜、あるいは複雑性は、国政の運営に巨大な無駄を生んでいる。巨額の財政赤字を抱えながら人口減少社会に突入した日本には、曖昧な憲法解釈がもたらす無駄を楽しんでいる余裕はない。憲法解釈の確定が必要である。

9条1項の戦争放棄が、自衛権の否定を意味しないことは、近年では広く知られてきている。昨今の憲法改正論議でも9条1項が話題にならないのは、戦争放棄が自衛権の放棄とは違うという理解に、国民の認知も広がっていることの反映だろう。前文からきちんと読み、9条1項の基盤となっている1928年不戦条約や1945年国連憲章2条4項(及び51条)の論理構成をしっかりと把握すれば、戦争の一般的違法性が、むしろ国際秩序を維持するための制度としての自衛権と密接不可分の関係にあることは、自明なのである。

いまだに論争を呼んでいるのは、9条2項の解釈である。現在の自民党の改憲案の方向性では、自衛隊の存在の合憲性を確立することが目指されている。石破茂氏の主張では、それだけではなお9条2項解釈に問題が残るので、9条2項は削除すべきだ、というものである。

論争を呼んでいる条項を削除する案は、すっきりした案ではある。しかし現行の条文を維持したまま、違憲性の疑いがあると指摘されてきた事柄の合憲性を確立すれば、現行の条文を前提にした憲法解釈の仕組みが確立されるはずなので、それはそれで望ましいことだと私は考える。

9条2項によって自衛隊は違憲だと考える人がいるとすれば、「そんなことはない、9条2項は自衛隊を否定していない」という内容の条項を付け加えれば、ともに国民の支持が高い9条の平和主義と自衛隊の存在を、矛盾なく両立させて理解すればいい至極まっとうな解釈が確立される。

単に自衛隊の合憲性を明示するだけでは不足感があるのは、自衛隊という名称の組織の合憲性が確立されても、自衛隊の活動の合憲性が確立されなければ、あまり意味がないからである。

つまり、軍隊として活動する自衛隊の合憲性が憲法解釈として確立されることが、もっとも望ましい。

憲法学通説では、自衛隊は軍隊ではないことになっている。そのため石破氏も9条2項を削除したいのだろう。しかし政府見解では、自衛隊はもちろん憲法上の「戦力」ではないが、国際法上は「軍隊」として取り扱われる。つまり、自衛隊は「憲法上の戦力ではない、国際法上の軍隊」だと言える。

これでいい。このままでいい。この解釈をしっかりと確立すればいい。違憲ではないのだから「憲法上の戦力」ではない。そもそも「憲法上の戦力」になることには何の利益もない。「憲法上の戦力」ではないことは、軍隊ではないことを意味しない。これまで、あたかも自衛隊は軍隊ではないかのような言説によって、だからジュネーブ条約によって自衛隊員は保護されない、だから自衛隊員は国連PKOに参加しても任務に従ってはいけない…、などといった飛躍した議論が行われてきた。しかし、それはむしろ論理の錯綜である(関連拙稿:『三たび言う。自衛隊は軍隊である。』

9条2項で不保持が宣言されている「戦力(war potential)」とは、9条1項で明晰に否定されている国際法上の違法行為である「戦争」(国家が主権の発動を理由にして宣戦布告の一方的法的効果を主張して行うもの)を遂行するための潜在力のことである。9条2項で否定されている「陸海空軍」は、その文言上、「戦力」の例示であることも明らかである。1946年当時、大日本帝国軍の解体の法的根拠を明示するために、そのような例示が挿入されたのだろう。例示でしかない以上、他の戦争遂行を目的にした「戦力」として想定される事例、たとえば国家総動員体制下の竹やり部隊や軍需工場なども、当然「戦力」として、憲法によって否定されていると考えるべきだ。

その反対に、「戦力」ではないもの、たとえば国際法に合致した自衛権の行使を目的にした軍隊組織は、違法行為である戦争を遂行するための潜在力としての「戦力」ではなく、否定されない。9条2項が、連合軍や国連軍の否定を意味していないことは自明だが、それは勝者の軍を例外にしたからではなく、違法行為としての戦争の遂行を目指した潜在力ではないものは「憲法上の戦力」ではない、という論理構成によるものある。

なお9条2項は「交戦権」も否認しているが、これも「交戦権」が現代国際法に存在しない概念である以上、「国際法を遵守する」と宣言するのと等しい意味しかない。アメリカ合衆国が、伝統的にドイツ国法学などでは肯定されていた「交戦権」の発想を否定する立場をとっていたことは、拙著『ほんとうの憲法』でも書いた。憲法学者の基本書にのみ登場する謎の国際法の理解を捨て去り、実際の国際法にしたがって交戦権を否認すれば、ただそれだけで9条2項の運営に問題はなくなるのである。

憲法学者の基本書を読んで、国際法を理解したことにしてしまうという悪弊は、早く日本社会から根絶させたほうがいい。

(関連拙稿:『倉持麟太郎の「ウソと矛盾」 あなたの改憲論はここがおかしい』(irrona)『山尾志桜里議員の「自衛権=透明人間」論に呆れる』(アゴラ) )

憲法優位説が憲法学の通説だからといって、司法試験予備校や公務員試験予備校で憲法学者の基本書に依拠した答案作成が推奨されているからといって、憲法学の基本書に書いてある国際法の理解が正しいものになるといった発想は、ばかげている。国際法に精通した人物が内閣法制局長官になると、憲法学者らとともに「クーデターだ」と叫ばなければならないといった発想も、ばかげている。

自衛隊は軍隊である。憲法全体の趣旨をふまえた9条解釈は、むしろ現実をふまえた常識の正しさを根拠づけてくれる。


編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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