安倍3選めぐる新聞論調の内向き志向

視野を広げた政治論の不足

安倍首相が自民党総裁選で連続3選を果たし、主要紙は総裁選一本に絞った通称「一本社説」を掲げました。ほとんどが国内問題の視点から書いています。スペースをたっぷりとれる「一本社説」なのですから、もう少し視野を広げ、ありきたりの主張から脱皮してほしいですね。

安倍政権をめぐる新聞の論評も硬直気味?(官邸サイトより:編集部)

各紙とも、安倍首相の政治手法に反省を迫っています。「異論を排除し、数の力で強引に押し通す安倍政治は限界にきている。真摯な反省と政治姿勢の転換が不可欠である」(朝日新聞)、「独善的な政治から決別を。党員らに首相の姿勢や手法に対する不満が大きかった」(毎日新聞)。

反安倍色が強い両紙は当然として、親安倍派の産経新聞も「謙虚な政権運営を心がけよ。国民の信頼の確保を忘れてはならない」、読売新聞は「今後も謙虚に、丁寧に、慎重に政権運営にあたっていくと、首相は述べた。その言葉通り、信頼回復を図ることが肝要だ」です。

みな同じです。こういう社説を読まされると、むなしい気持ちになってきます。安倍首相の政治手法は独裁者的傾向を強め、新聞が口をそろえて批判するような点にこそ、特色があります。自らそう言わないだけです。もし、新聞社説が評価するような政治手法に転換したら、安倍政治の特色は消えてしまいます。

独裁者的な政治手法に傾斜

なぜ安倍政治は強引な独裁者型手法を使っているのかに、私は関心があります。その政治手法がいいと言っているのではありません。なぜ独裁者型になってしまったのか、どうすれば本来の民主的な政治ができるのかを論じることです。社説が批判すれば、安倍首相が方向転換するということではない。

解散・総選挙を繰り返し、そのたびに「1億総活躍」、「地方創生」、「3本の矢、新3本の矢」など、口当たりのいいスローガンを次々に並べる。政策の結果を検証もせず、成果がでないと、看板を掛けかえる。思い付きのような新政策が突如、首相主導で浮上してくる。モリカケ問題でも、過半数の国民は首相らは真実を語っていないと、思っている。安倍首相も本気で反省をするつもりはない。

恐らく、首相には「海外の政治的リーダーの政治手法を見てくれ。どこも独裁政治が行われ、顔色ひとつ変えず、平然としている。それに比べれば、自分なんか…」という認識があると思えてなりません。トランプ米大統領、プーチン露首相、中国の習総書記の振る舞いと比べてくれと。途上国にも、独裁政治は広がっていると。「日本はまだいい方だ」が首相の本音と想像します。

民主主義の手続きに沿って、政治をやっていては、いつまで経っても結論がでない。国際情勢、経済が波乱含みの時代には、これで行こうと信じているように思えます。政府、日銀が合意の上で、異次元金融緩和をし、巨額の国債を発行し、財政再建は遠のくばかりでも、本気で気にしていないようです。

摩擦や対立の火種が増える

独裁的な政治は引き留める者がいないため、歯止めが利かなくなり、米中のような報復関税の応酬にのめりこみ、貿易戦争が始まっています。北朝鮮の核廃棄問題も、トランプ氏の中間選挙対策みたいで、政治ショー化しています。各国に独裁的政治が広がれば、摩擦、対立の火種が増えます。

本来なら、国際情勢を踏まえた自民党総裁選論、つまり日本の首相選び論を社説にお願いしたいのに、書いていることの多くは、国内的な視点、永田町(政治村的)な視点からです。

経済問題について触れますと、日経新聞が「有効求人倍率などの数字を並べ、経済政策の実績を自賛した」と指摘しました。毎日も「雇用や税収の増加など、都合のいい数字を並べて、自賛する首相の姿勢は分からない」と、批判しました。

10年前のリーマン金融危機の直後が経済状況の谷で、主要国は一斉に金融、財政政策をうちだしましたから、景気が浮揚してくるのは、当然といえば当然です。国内的な視点、つまりアベノミクスの効果という視点から首相は自賛しているのですから、社説は国際的視点から問題点を指摘すべきです。同時に、通貨供給の増大に支えられた景気回復の過程で、所得格差が広がっているというべきです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年9月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。