運動会に見る日本社会のフシギ:集団主義を無意識的に育む学校

2018年10月08日 11:30

きょうは体育の日。

整列!
前へならえ!
距離を保って、歩け!
体育座り!

……しっかりやらないと先生に怒られる日本の児童・生徒たち。

季節は秋、体育祭の季節。レコードチャイナで書かれたように、世界的に見ればなんとも不思議なイベントである。特に、このイベントをつつがなく、スムーズに運営することこそ、最大の目的であるようで、生徒児童、先生、さらには親までがそれを当たり前のように受け止める。

こうした不思議な光景は日本の教育現場でよく見られる。生徒・児童は、朝礼で校長先生の(退屈な)話を直立不動で聞かされる。整然と整列しなくてはいけない(一定の距離を保つ必要がある)。おしゃべりはしてはいけない。もちろんふざけたりすると怒られる。和を乱すと言われる。

まさに、日本の不思議である。

いったい、なんのため?

しかし、これが先進国だと日本だけと聞く。海外に行くと校庭での朝礼すらない。と驚く日本人も多い。「子供のために」と政治家をはじめ力説する人が増えたにも関わらず、児童生徒に我慢を強いる「活動」は、改善される兆しすら見えない。軍隊教育の残滓ともいえ、日本のサラリーマン社会のための事前訓練ともいえる。

何のためそれが必要なのか、目的もそもそもわからない。やることが目的なのかもしれないし、大多数の人がそれなりのメリットがなんとなくあるという意識を共有しているのかもしれないし、いまさらやめられないというのが真実なのかもしれない。

東アジア価値観調査では?

こうした「枠にはめる活動」の成果は出ているのか。というか出ていなければいけないはず。日本人は集団主義!….実質はそうではない。「子どもをめぐる状況」という報告書の中のある設問では、何と日米中の3か国において、規範意識が低いことが明らかになっている。

特に、

・「学校をさぼる」への許容度:中国34%⇔日本63%

・「授業中おしゃべりをする」への許容度:中国72%⇔日本87%

なのだ。学校内での関連項目でもこうした差が明らかになっている。

成果すら出ていない……。

日本の集団主義の伝統がパワハラに

岸記念体育館、筆者撮影

体操協会、日本ボクシング連盟、日本体操協会……

最近、日本のスポーツ界ではパラハラがメディアを騒がせている。そのことを考えると、つい、前述の運動会を思い出してしまう。

「村」社会の共同作業における協力が、軍国主義の伝統によって強化され、それが経済復興の神話とともに、強化される「集団主義」と「空気の支配」。その入門編でもある「枠にはめる活動」が日本の最近のパラハラにつながるということに、気づかない。いや、気づいていても問題視しないのだろうか。実際、我慢することの目的や意味を知らないまま、「当たり前」にすることで社会全体的には効率的な面もあるが、子供の思考力を奪っているのかもしれない。

筆者はそれなりに真面目だったので、苦痛に思っている友人を見て、かわいそうに思えた。枠にはめる日本型活動は我慢を強いるし、個性を奪いかねない。たしかに、災害時などでは非常に効果を発揮することも確か。ただ、集団行動を強いる目的くらいは教えてあげるべきですよね?

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西村 健
日本公共利益研究所 代表・主席研究員

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