高橋源一郎の「現代語訳教育勅語」こそスキャンダル

2018年10月11日 11:40

「新潮45」問題について、6日発売の同じ会社の文芸誌「新潮」11月号が編集長名の編集後記で「小川栄太郎氏が、LGBTと痴漢を対比し痴漢の苦しみこそ根深いと述べた点を『差別的』と指摘。その上で『問題は他人事ではありません。だから小誌への寄稿者は怒りや危機感の声をあげた』『差別的表現に傷つかれた方々に、お詫(わ)びを申し上げます』などと書き、また、作家の高橋源一郎氏による小川氏の寄稿を読み解く論考も掲載した。

高橋氏の偉そうな文章については、論評する気も起きないので、山崎行太郎氏(哲学者・文芸評論家)の批判をリンクしておく。ちなみに山崎氏は保守派だが、『保守論壇亡国論』『ネット右翼亡国論』などの著書があり、小川栄太郎氏らのグループとは激しく対立している人物である。 

しかし、私がここで論じたいのは、Twitterで小川論文を「便所の落書き」と罵倒した高橋氏が、そんなことをいう資格があるかと言うことだ。

高橋氏は2017年315日、ツイッターのアカウントに教育勅語の「現代語全訳」を掲載し、それを週刊朝日の亀井洋志記者が、 同年4月20日の電子版で本人の了解を得た上で全文を掲載している。 

この内容こそが、高橋氏が小川榮太郎氏の『新潮45』掲載の論文に対して投げかけた「便所の落書き」以下だと思う。その内容は、たとえば、以下のような調子だ。

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であること

これは、明治天皇に対しても非礼であるし、少なくとも、教育勅語を大事にしていた半世紀の日本人に対しても同じである。

言っておくが、私は教育勅語擁護派ではない。「すでに明治末には時代遅れになっていた」とすら言っているし、その内容は不適切ではないが、好きではない(一般に私は儒教的な価値観に好意的でない)。

しかし、まず、一般に他人の著作物を悪意ある汚い言葉で書き換えることは、よろしくない。文中において、「著者の本当の意図は…..ということではないか」と論じるくらいならまだしも、作品を丸ごと書き換えるというのは慎重であるべきだ。

まして、「非常に飛躍した解釈」を「作者が悪意をもった人物だ」という前提で「汚い言葉」で書き換え、しかも、それをパロディー版とかいうわけでなく「現代語訳」と銘打って全文を発表するなどというのは文筆家としての倫理に反するというべきだ。

そんなことなら、高橋氏の作品を“高橋氏をいかにも下劣な人間である”という前提で、書き手の本音はこういうことだろうと品の悪い文章で書き換えて出版してもいいことになりはしないか。

まして、明治天皇の勅語であり、ご先祖たちが大事にしてきたものなのだから、そういう観点からも一定の敬意を払うことが常識だろう。私は「不敬」などという言葉はそもそも使わないし、好きでもない。ただ、現在の陛下の曾祖父であり、日本を代表する神社のひとつの祭神であれば、一定の配慮はあっていいと思う。

私はムハンマドの風刺でも禁じられるべきでないと思うが、やはり道義として節度はあるべきだと思うし、高橋氏がネトウヨ・パヨク的な一般人でなく、それなりの地位のある作家であるなら、また、それをそのまま全文引用して掲載した週刊朝日電子版も、責任を負うべきだろう。

週刊朝日電子版は杉田水脈氏の容貌について観相学とやらを使って、誹謗して記事撤回に追い込まれたが、「新潮45」が休刊になるなら、こっちの方が先であるべきだろう。

そして、また、月刊「新潮」も反省などするために、作家に論評させるなら、その作家が過去に以上のような問題のある文章を書いてきたことがないかくらい調べ、立派なことを言うにふさわしいくらいはチェックしてからにした方が良かったと思う。

『反安倍』という病 - 拝啓、アベノセイダーズの皆様 -
八幡 和郎
ワニブックス
2018-09-07
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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