久しぶりの米国、久しぶりの弟子との出会い

6月にシカゴを離れてから、初めて米国にやってきた。といっても、日曜日の夜遅くに羽田発でロサンゼルスにきて、水曜日の朝5時に羽田に戻る強行軍だ。大事な案件は、顔を合わせて話をすべきであると考え、短い合間をぬって会議に参加したものだ。ビデオ会議でも話はできるが、やはり、肝腎なことはお互いに顔を間近で見て話をしないと物事は進まない。

そして、深夜便に乗る前に、ロサンゼルスで腫瘍外科医として開業している弟子と、久しぶりに会って食事を共にした。研究では弟子ではあるが、ゴルフは好敵手だった。最後にプレーをした時に、私が1打差で勝ってから、彼はリベンジを胸に期している。その後、一緒にプレーをする機会がなく、15年の歳月を経ている。

一度、ハワイの学会の際にプレーをする約束をしていたが、プレーをする直前に、別の弟子が隣のホテルのビーチで溺れて死にそうになり、私が看病に駆け付けたため、機会を逃した。ぜひ、次回はゆっくりとロサンゼルスに来て挑戦を受けたいと思う。最近は足腰が弱ってきたので、負けない体力のあるうちに挑戦をはねのけたい。

ゴルフの話で盛り上がった後、急に医療の話になり、腫瘍外科医の彼が、「ステージ4の患者さんには時間が残されていないので、できる限り最新のことを提供したい」と言い出した。

大腸がんのために腸閉塞となり運ばれてきた患者さんに対して、腹膜播種、肝転移があったが、閉塞を放置できないので、原発部と大きな転移巣を切除した。そして、抗がん剤を拒否したので、免疫チェックポイント抗体の投与を知人の医師に依頼したところ、20個近くあった肝転移を含めすべてが消え去り、その状態が維持されている経験を目を輝かせて語った。

この段階での免疫チェックポイント抗体投与は、米国でも標準療法でなかったが、それまで得られていた科学的エビデンスを考慮して依頼したそうだ。

最近の医学の進歩を考えれば、限定的な残された時間を安易に患者さんに告げることには抵抗を感ずると言っていた。さらに、ステージ4の患者さんの時間は限られているので、科学的なエビデンス(日本の臨床腫瘍医がこだわっている統計学的なエビデンスではなく、科学的な考察に基づくエビデンスのことだ)に立脚した新しい可能性を探るべきだ。延命のための治療ではなく、治癒の可能性を目指した試みが重要だ・・・・・。彼の患者さんに対する想いを聞いていて、胸に迫るものがあった。

日本で標準療法のあり方を批判すると、背後から矢を放たれ、石が投げつけられるので、憂鬱な気分だったが、久しぶりにスカッとした。米国では多種多様な考えのもとに、それぞれが切磋琢磨して、イノベーションが生まれるが、日本では親方日の丸主義で、親方に逆らう異分子は排除される傾向が強い。

患者さんの目線に立てば、「ステージ4で治るとは考えるな」「延命だけが自分たちの責任だ」と平然と語ることが、いかに、患者さんや家族の気持ちを打ちのめしているのだろうかと思うのだが?日進月歩の時代に3か月の命だ、6ヶ月の命だとマニュアルを読むように接するのではなく、一緒に戦う姿勢を失わないで欲しいものだ。奇跡は待つのではなく、起こすものだ。久しぶりに出会った弟子の言葉が爽やかに残った旅だった。

PS: ロサンゼルス空港の荷物検査でひっかかり、荷物を全部調べられた。原因はホッカロンだった。機内が異様に寒い時に備えての常備品だ。シカゴでは問題になったことはないのだが、意外なもので足止めを食らった。シカゴではこれが無くては外は歩けないが、ロサンゼルスでは年中暖かく使う必要がないからだろうか?と、ありえないことを考えながら、出発時刻を待っている。1時間遅れとアナウンスがあり、どっと疲れを感じた。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2018年10月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。