医師にとっての最善と患者にとっての最善(ALSと気管切開)

私は1年以上前から、主治医の先生より「肺活量などの数値から判断するなら、いつ気管切開が必要になってもおかしくない状態です。施術のタイミングは、あなたの意思に任せますが、くれぐれも無理はしないでください」と言われてきました。

気管切開とは、喉に穴を開けて、直接肺への気道を確保することです。ALSの進行により自発呼吸が衰えると、気管切開して人工呼吸器を付けなければ生きられません。

ALS患者は、ある日突然呼吸困難に陥り、救急で運ばれて、そのまま気管切開というケースが珍しくないと聞いています。主治医は、そのリスクを説明してくれていました。

私が気管切開を先延ばしにしていたのは、人工呼吸器という未知なる世界への恐怖もありますが、最大の理由は声を完全に失うことでした。舌の筋肉の衰えによって、他人には呻き声にしか聞こえない声でも、私にとっては「私はここにいるよ」ということを示す、大切な声でした。

そんな私にも「その時」は突然やってきます。

軽い肺炎の疑いで入院中の深夜、突如として猛烈な呼吸困難に陥ります。緊急コールが鳴り、当直の医師達が私の部屋に集まってきました。当時の私は意識朦朧で、記憶のない部分もありましたが、後日、医師達の中で次のようなやりとりがあったことを聞きました。

医師達の大半の意見は、すぐに気管切開するべき、でした。しかし、医師達の中に、ALSの親御さんを持つ方がいて、私のカルテを見て、「この人は、気管切開するタイミングを自分で決めることにこだわってきた。我々が気管切開を決めてはいけない」と言って、周りの医師達を説得してくれたそうです。結果、気管切開せずに、その場を乗り切りました。

医師の役割は、究極的に言えば患者の命を守ることです。あの時、命を守るための最善策は、気管切開だったと思います。しかし、医師達の中に、ALSの症状だけでなく、ALS患者にとって気管切開がどれだけ重たい決断かを、実感として理解している医師がいたおかげで、私にとって最善の結果となりました。

その後私は、覚悟を決めて、気道と食道を分離することを気管切開と同時に行うという術式を自ら選び、手術に踏み切ることが出来ました。

医師にとっての最善と患者にとっての最善が、一致するとは限りません。生死を分ける場面であればなおさらです。生死のはざまにおいて尚、自分の意思を尊重してもらえた私は、本当に幸運だったと思います。

恩田聖敬


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2018年11月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。