移民と学校

2018年11月10日 15:00

学校は、日本人を作るところなので、現状でも外国につながる子供には対応できていない。以前も述べたように、学校は勉強するところではない。日本人として「空気を読める」ようにする場所だし、空気が読めないと学級経営じたいが成り立たないのである。

諸外国のように、教員の注意3回で別室で授業を受けるとか、そういう罰則はない。多様性が前提ではない。教員が空気を統率するので、もしルールを守らない子供がいれば、教員の指導力がないということになってしまうので、ぜったいに多様性が認められないのである。

※米国のような多様な学校は困難か(画像はイメージです=写真AC:編集部)

このような学級に、外国につながる子供が多く入ってくれば、学校が機能不全になることは、火を見るより明らかである。

「空気」ではなく「ルール」の遵守を

ルールを決めて、それに従えない子供は、授業を受けさせないくらいにしなくてはならないと思うが、「授業を受ける権利の侵害だ」と言って、親御さんや人権団体からのクレームを恐れ、授業を妨害する子どもを野放しにしてきた現状がある。今まではひとりふたりで済んできたが、これが何割という人数になれば、もう学校の体はなさないだろう。

もちろん、「ふつう」の日本人の親御さんなら、「そこまでは学校に要求できないだろう」という暗黙の了解があるが(さいきんはこれもかなりあやしくなってきているが)、海外からきた親御さんは、それもよくわからない。学校でのルールや立ち振る舞いが言語化されていないからだ。

そして、空気どころか、日本語の会話が成り立たない子供が入学してくるのである。わたしの勤めていたK市はもともと国際色豊かな地域だったが、ひとり外国につながる子供がくると、サポートの教員がついて、そのサポートの年間の費用は子供ひとりあたり30万円だと聞いた。こういった追加の予算は今後ますます増えていくだろう。(すでに全国には、外国につながる子供が何割もいる自治体がたくさんあることは周知のとおりである)

そして、日本語学校と化している学校もすでに多くあるが、日本語が話せるだけでは「日本人」にはなれないだろう。日本人の立ち振る舞いを覚えて、多くの日本人は、そのひとが日本人だと認めるのではないだろうか。そういった問題も今後ますます出てくるだろう。

学校側に多様性はあるか

なにより、子供たちはこのように圧倒的に多様化しているが、学校の教員にはまったく多様性というものがない。現在の一般の企業と比べれば、ほぼ100%純日本人といっていい(しかももともと学校が大好きだった人が教員になるので、学校の子供のマネジメントのやり方に疑問をもつ人は少ない)。採用試験で極端に空気を読めること(教委や管理職があつかいやすい、学級を空気で統率できること)を重視しているからだ。まぁ、移民に対応することで、学校のこの閉塞感が変わればいいとは思うのだけれど。

わたしが学校制度の見直しをすべきだといつも言っている所以である。

中沢 良平(元小学校教諭)

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