福島第一原発の今 ~現場視察レポート~

加藤 拓磨

私は自民党東京都連青年部の仲間に誘われ、10月13日に福島第一原発を視察させていただく機会を得たので、その様子について筆をとらせていただいた。

視察メンバーは長澤こうすけ足立区議会議員、しげまつ佳幸江東区議会議員、藤澤愛子豊島区議会議員、沢田ひろかず前品川区議会議員であった。視察のコーディネートは東京電力の職員で、原発の現状を多くの方々に広く理解していただきたいということで、できる限りの視察を受け入れており、現在、半年先まで予約が取れない状況である。これだけ報告が遅くなったのはテロ対策として視察者による写真撮影は許されず、東電が撮影、チェック済みの写真をいただく過程でのタイムレスポンスによるものである。

Jヴィレッジ

現場に行く前日に、福島第一原子力発電所の災害復旧の拠点、かつ避難所となっていたに宿泊した。Jヴィレッジは東京電力が火力発電所を建設している福島県に対して、地域貢献をしたいという考えの基、建設されたものである。しかし東日本大震災により福島第一原子力発電所(以後、原発)より20㎞離れ安全である本施設は原発の事故復旧の最前線基地としての役割を果たしてきた。事故から7年が経過し、除染、廃炉へ向けた作業が進む中、Jヴィレッジは再始動に向けて準備をしてきた。

民営であるが、東京電力と福島県が株の一部を所有している。11.5面分のサッカーグランドとホテル、そして再開においては会議室を併設し、様々な用途に対応できるように再整備なされた。福島県が原発の事故によって、風評被害があり、客足はあまり伸びていない。サッカー日本代表などに福島県が安全であることをアピールが肝要と考えており、7月28日のJヴィレッジ再開日においては多くの有名サッカープレイヤーを招いた再始動を印象付けたイベントを開催した。

福島第一原子力発電所の現状の説明

Jヴィレッジを出発し、福島県富岡町にある東京電力旧エネルギー館で東京電力の職員と待ち合わせ、資料を基に現在の原発1~4号機の状況について説明を受ける。

各号機とも「冷温停止状態」を継続し、使用済み燃料の移送作業が進められ、4号機は2014年12月22日に1535本すべて移送作業が終了したが、他は当時のままで1号機は392体、2号機は615体、3号機は566体が残っている。1~3号機は原子炉圧力容器でメルトダウンを起こしており、取り出しが困難な状況が続いている。機械で自動に取り出せるように建屋を改築している最中である。またメルトダウンした核燃料の状況を把握するためのロボットを開発中である。

汚染水対策として地下水が建屋にできるだけ接しないように土壌を冷凍し、雨水が入らないようにエリア全体を遮水するなど、流入量を減少させている。また流出する水に関してはストロンチウムを始めとした放射性物質の除去をするとともに貯蔵タンクに入れている。しかし貯蔵タンクの容量に限りがあるため、新たな貯蔵タンクを作っている。労働環境としては発電所全体の96%の除染が終了しており、直ちに危険であるというエリアは限定的になった。2015年からは大型休憩所、福島給食センターが設立され、改善が図られてきた。

現在においても平日4000人程度が働いており、完全な廃炉には30~40年程度かかると試算されており、献身的な作業は続いていく。年に2000億円程度で廃炉までに8兆円、除染には4兆円( or 賠償・除染を含めて16兆円)かかると試算されており、電気料金の値上げ、現在国が買い支えしている東京電力株の上昇分で穴埋めをする予定である。

福島第一原子力発電所の現地視察

様々な説明を受けたのちに身分証を含む本人確認がなされ、バスに乗り原発へ向かう。テロ対策として防犯カメラの配置などがわからないように記録媒体の持ち込みはすべて旧エネルギー館に置いていくことをお願いされる。

旧エネルギー館からはバスでの移動となり、地域のメインストリートである浜通り(国道6号線)を北上すると帰還困難区域、居住制限区域であり、途中から許可車両のみしか侵入できない。至る所に線量が表示されており、この地域が管理下にあることがさらに実感させられる。

浜通り沿いは除染が進んでいるため、車で通行する程度では全く問題がない放射線量であるが、通りから離れた場所はほぼ除染がされておらず、条件付きでの侵入しかできない状況が震災以後から続き、生活感が全くないゴーストタウンとなっており、胸が締め付けられる。

原発に到着すると入退域管理棟に入り、本人確認が改めて行われ、構内へ入る。土曜日であったため、混雑はしていないが多くの作業員がそのゲートで出入りをしている。進んでいくと新しい作業着の貸出、返却ブースがあり、その先にはスマートフォンが数千台充電されており、自分のIDカードと紐づけすることで通話や現在位置の確認などでき、安全確認ができる。

12時前になり、昼食の時間となった。構内の食堂に通され、旧エネルギー館で購入した380円の食券を使う。メニューは定食A・B、麺セット、丼セット、カレーセットなどがある。カレーを注文したが、男性が多い職場であるためか、辛口であった。カレーだけでも一か月間を組めるバリエーションがあり、多くの工夫がなされている。

食事が終わると線量計を一人ずつ貸出され、バスに乗る。線量計は一定値を超えると音が鳴る仕組みになっている。ここで防護服を貸与されると思ったが、除染が終わっており、着替える必要がないとのことであった。

バスが出発し、最後までバスから降りることはなく、職員の慣れた説明とともにバスは進んでいく。最初に見かけたのはナンバープレートがない消防車等を含んだ800台の車両であった。汚染されているため発電所から車両を出すことはできない上、広い発電所の移動、車での放射線の遮断効果のために車両が必要なため、発電所内のみで運転が許可されている。キリンと呼ばれた首が長いポンプ車もその中にあった。そのために構内には給油所がある。

多核種除去設備(通称ALPS)の脇を通り過ぎ、1~4号機から100m離れた高台から俯瞰で見学し、現在の作業の状況を垣間見ることができた。この距離なら私服でも問題ないのかと思いつつ、地下水バイパス設備を通過し、たどり着いたのは4号機建屋の目の前50m、そして3号機においては20mまで接近が許され、96%のエリアにおいて防護服が不要なほど除染されていることを認識した。

2号機と3号機の間を通過し、津波で被害を受けた湾岸エリアに向かう。防波堤は無残にも破壊されており、テトラポットを設置し、復旧をしている。しかしこのテトラポット、当時、緊急対応で設置する必要があったものの、輸送する手段がなかったためにテトラポットの制作工場の整備が行われた。見慣れた工作物も特殊事情で作られていることから、この現場の壮絶さ、特殊性が窺える。

その後、使用済み作業着のケースの山と最近完成した作業着の焼却設備の脇を通過する。作業着を焼却することで、新たなスペースを生むことができる。その先には造成工事現場があり,廃棄物貯蔵庫の容量が不足しているため、森林を伐採し、整地を行っていた。

バスに乗っているのは50分程度であった。事故直後にテレビでよく見た施設を目の当たりにし、テレビにかじりついた当時を思い出し、自分の中で発電所に対して一時期から全く意識しない生活を送っていたと反省しながらも、どのように進捗したのか注意深く説明を受けていた。

視察を終えて

このような事故を起こってしまった原子力発電所およびその政策について、改めて考えさせられた。日本のエネルギーに関する環境は輸入なしには成り立たないものであり、特に石油・石炭・天然ガスなしには立ち行かない。事故直後、火力発電に頼らざるを得ない状況下になったとき、奇跡的にアメリカのシェール革命により原油価格が下がり、現在に至るわけであるが、世界情勢によってはいつ激変するかもわからない中でエネルギーのベストミックスを考えていかなければない。

現在、いますぐに原子炉を稼働させる緊急性は見当たらないが、いつでも稼働できる準備をすることが世界に対してのブラフになり、エネルギー資源における経済的な脅しに屈することがない状況を作れるのではないだろうか。

発電所で行われている現在の作業はマイナスをゼロにするものである。しかし多くの反省を経て、新たな技術革新イノベーションを創造し続けている。例えば、AIによる自動運転するバスも運行の実験が行われている。

通常の現場ではできない実験的な試みから生まれた技術が日本のみならず、世界を席巻する技術となることを祈念する。

加藤 拓磨   中野区議会議員 公式サイト


【編集部より:11月22日23:30】東京電力から加藤氏を通じて一部の数字等の誤りの指摘がありましたので訂正いたしました。