宝くじは売れないほうがいいのか

2018年11月20日 11:30

宝くじの発売は、富くじに関する「刑法」の規定により、立派な犯罪なのだが、「当せん金付証票法」により、非犯罪化されているのは、地方自治体の資金調達の手段という公益性があるからである。

しかし、宝くじは、公益性があるから売れているのではない。2016年4月の宝くじ購入動機の調査では、購入動機は、「賞金目当て」(61.9%)、「宝くじには大きな夢があるから」(42.5%)、「遊びのつもりで」(32.9%)、「当たっても当たらなくても楽しめるから」(32.9%)となっている。公益性ではなく、ギャンブルが宝くじの魅力なのである。

宝くじの宣伝については、本来は、公共性を強調すべきものである。しかし、それでは、宝くじの売れ行きは伸びない。宝くじの売れ行きが悪くなれば、資金調達としての機能は弱くなる。宝くじの機能を維持するためには、宝くじを積極的に販売しなければならない。そのためには、国民の射倖心を煽るほかない。こうして、宝くじの派手な広告が正当化されてきたのである。そこには、宝くじの本来の機能である公共性は完全に埋没してしまっていたわけである。

故に、広告のあり方が見直され、最近では、射倖心を煽る要素を少なくし、同時に、宝くじの社会貢献を世に知らせる方向へ路線が修正されたのだが、事実として、一方に、経済合理性を超えたところで「夢」に満足している国民がいて、他方に、それを利用して資金調達をしている地方自治体がいることで、それなりに辻褄が合っているのである。従って、過度に射倖的な要素は改めたにしても、合理性と公共性を前面に出すことは難しく、「夢」をばら撒く構図を変えようがないのである。

さて、非合理的な射倖性に国民の人気があること自体、それでいいのかという感じがしないわけでもない。日本の将来を考えると、やはり、国民の合理的思考力を高める方向へ、政策的な工夫をしていかないといけないのではないか。

宝くじは、いわば地方自治体への寄付だが、寄付は、公共心に訴えるのが本来のあり方であって、射倖心に訴えるのは邪道である。寄付が、寄付として、国民の理解のもとで集まるためには、寄付対象の事業に納得性と合理性がないといけないのに対して、射倖心で集めた寄付が何に使われても、国民としての関心は及ばない。そこが一番いけないところである。

ちなみに、最近、宝くじの売り上げは低迷しているようである。国民が少し理性的になったのだろうか。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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