大嘗祭:秋篠宮殿下、爆弾発言の裏側と深刻さ

2018年11月30日 11:30

秋篠宮殿下は30日に53歳の誕生日を迎えられたが、これに先立ち行われた記者会見で、眞子様の結婚問題や、皇位継承行事などについて語られた。

誕生日に際して紀子さまと会見された秋篠宮さま(宮内庁サイトより:編集部)

非常に率直な会見であったが、30日の解禁を前に「週刊文春」「週刊新潮」に眞子様の結婚についての発言内容が解禁日破りのかたちで掲載された。本日の朝刊には大嘗祭への国費支出への疑問という爆弾発言が掲載されて波紋を拡げている。

論点は宗教的な色彩が強い大嘗祭の扱いということと、皇族がこのような政治的な発言をしていいのかという両方の問題があるということだ。この発言があったことは私も聞いていたので、昨日、海外の参考例として、「英国皇太子の政治発言自粛宣言と日本への教訓」をあらかじめ書いたのである(眞子様の結婚問題については本日の午後以降に掲載したい)。

まず、秋篠宮殿下の発言は以下の通りである。

関連質問:殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について,いろいろ宮内庁の方でも発表があり,決まりつつありますが,先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが,即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。

殿下:行事,そういう代替わりに伴う行事で,いわゆる国事行為で行われる行事,それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて,私が何かを言うことができるかというと,なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方,皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは,幾つかのものがあるわけですけれども,それについては,ある程度,例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています。

記者 :具体的に。

殿下 :具体的にもし言うのであれば,例えば,即位の礼は,これは国事行為で行われるわけです,その一連のものは。ただ、大嘗祭については,これは皇室の行事として行われるものですし,ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて,それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども,その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局,そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。

ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは,今でも持っています。整理の仕方としては,一つの代で一度きりのものであり、大切な儀式ということから、もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い,ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ,残念ながらそこを考えること,言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。

そもそもの支出の是非については、宗教学者の島薗進氏のように、戦後の皇室に戦前からの国家神道的な考え方が多く引き継がれていることを指摘し、そうしたことや、公費支出に疑問を投げかけるニュアンスの意見もあれば、皇室問題に詳しい所収氏のように、宗教行事というよりは伝統文化行事だから構わないという人もいる。

私は皇室の行う宗教的な色彩の強い行事への支出は憲法違反ではないが、皇室の行う上での問題はないと考えている。そもそも、日本国憲法は皇室制度をいちから創設したのでなく、現実にあるものを追認したのである。そうである以上は、矛盾があるのは仕方ないのであって、政教分離と皇室の伝統のどちらかを優先させるわけにもいかず、バランスを取って仕切るしか仕方ないのである。

そこで、内廷費というのを設けて日常的な神事は、そちらから支出しているのであるが、大嘗祭は費用も大きいので国費でということに平成の大嘗祭のときになったのである。

それを安直に動かすことは、あまり気が進まないのが正直なところだ。また、内廷費といえども国費由来には違いないのだし、そういった経費も考慮に入れて、内廷費を増額するというのも、非透明性を増すだけだ。また、内廷費で払える程度の規模にするという意見もあるし、それは皇室行事一般についてもある議論だが、あまり目だなく何事もするなら、皇室の存在感も存在価値も低くなるだろう。

そういう意味では、秋篠宮殿下の考え方は、少し一面的なのではないかと思う。

一方、皇族が自由に私的な意見を言えるかという問題はどうか。

私は、昨日の英国についての考察でも書いたように、近代立憲君主制においては、天皇陛下の発言は、厳密に首相以外に話すことも良くないし、漏れてはならないものだと理解している。それに対して、皇族は陛下から距離があればあるほど節度さえ保たれれば自由度はあってよいと思う。

また、皇室問題についていえば、皇室は関係者であるから、意見をいいたいというのも当然だ。ただ、意見を皇室内部や政府にしかるべく聞いてもらえば、そこで我慢すべきということもできると思う。

かつて、皇室典範改正問題があったとき、三笠宮寛仁親王が苦言を呈されたことがあった。このときは、懇談会の座長であった吉川某とかいう理系の学者が、憲法上の問題もあるから皇族の意見は聴かないと言明したことが引き金だったから、殿下の発言には正当性があった。

今回については、「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった」といい、宮内庁長官は「聞く耳を持たなかったといわれるとつらいが、そのようにお受け止めになったのであれば申し訳ない」といいつつ、陛下からは皇太子殿下とよく相談するようにといわれたといって、暗に秋篠宮殿下の意見は陛下の意向に従ってあまり聞くつもりはなかったようなこともいっている。

もし、秋篠宮殿下の意見が聞き流されたというのであれば、殿下の今回の発言には一定の理解がされてももっともだと思う。

しかし、いずれにしても、こうした問題も、眞子様のお粗末な騒動にしても、根本は皇室制度の制度疲労というか、かつての「朝廷」とか「宮中」というしっかりした組織や華族などがなくなり、両陛下や皇族と弱体なスタッフだけからなり、政府との対話やコントロールもあまりされていない、貧弱なご主人一家と従業員だけからなる「個人商店化した皇室」において起こるべくして起きている問題だというのが私のかねてからの主張だ。

誤解だらけの皇位継承の真実 (イースト新書)
八幡和郎
イースト・プレス
2018-04-08
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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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