ウクライナとロシアと「ケルチ海峡」

長谷川 良

ウクライナ南部クリミア半島とロシア本土を隔てるケルチ(Kerch)海峡で、ロシア警備艇がウクライナ海軍の艦船3隻を拿捕し、24人のウクライナ海軍兵士を拘束し、裁判のためにモスクワに連行した件で、ウクライナとロシア両国は相手側を糾弾し、批判合戦を展開、対応を間違えれば軍事的衝突にエスカレートする危険性も出てきた。

黒海とアゾフ海(内海)とケルチ海峡の位置=ウィキぺディアから

ロシア側は先月25日、「ウクライナ海軍の艦艇は明らかに領海侵犯だ」として、ウクライナ海軍兵士を拿捕。それに対し、ウクライナ政府は26日、戒厳令を施行。30日には16歳から60歳までのロシア男性のウクライナ入国禁止を施行した。ポロシェンコ大統領は「ロシアの民兵を阻止するため」と説明している。

黒海とアゾフ海(Azov)を結ぶケルチ海峡の自由航行はロシアとウクライナ両国間の協定で保障されてきたが、ロシアがクリミア半島併合後、この海域を自らの「領海」と主張し、ウクライナ側と争ってきた経緯がある。

ウクライナ側はドイツと欧州諸国に「ロシアに対する制裁を強化すべきだ」とアピール、対ロシアへの軍事圧力を要請。それに対し、メルケル独首相はウクライナの主張を支持する一方、軍事圧力の強化要請には応じない意向を明らかにしている。なお、欧州連合(EI)のトゥスク大統領は30日、ブエノスアイレスでの記者会見でロシアの武力行使を非難し、対ロ制裁の延長を示唆している。

ブエノスアイレスのG20で記者会見するプーチン氏(ロシア大統領府サイトより:編集部)

一方、国連安全保障理事会は先月26日、緊急会合を開き、ウクライナとロシア両国に過激な行動を慎むように表明。米国のトランプ大統領はロシア側がウクライナ海軍兵士を釈放しないことを受け、アルゼンチンで開催中の20カ国の国・地域(G20)首脳会議の期間に予定していた米ロ首脳会談を拒否する一方、「メルケル首相はロシアとウクライナの紛争の調停に乗り出してほしい」と、メルケル首相に両国間の調停役を要請している。

ウクライナとロシア両国の関係は、ロシア側のクリミア半島の強制併合(2014年)、ウクライナ東部の紛争もあって険悪な状況が続いてきた。ウクライナ側は「プーチン大統領はウクライナ領域のさらなる併合を意図している」と警戒し、北大西洋条約機構(NATO)にロシアの軍事介入阻止のために軍事プレゼンスの拡大を要求している。ウクライナ側の情報によると、ロシア軍が対ウクライナ国境線に結集し、軍事攻勢への準備をしているという。

ロシア側は「来年3月のウクライナ大統領選を念頭に、ポロシェンコ大統領は戒厳令を発令し、祖国を守る大統領として国民の愛国心をくすぐり、支持率を高めようとしている」(ロシアのラブロフ外相)と批判する一方、ウクライナ側は「プーチン大統領は年金支給年齢のアップを受け、国民のプーチン批判が高まってきているので、ウクライナとの軍事衝突で国民の関心を逸らす常套手段に乗り出している」と見ている。すなわち、ウクライナ側もロシア側も大統領が自身の政治的延命のため隣国との衝突を利用している、と受け取っているわけだ。

プーチン大統領の場合、ロシア国内の経済的、政治的問題も国民の批判は政府の責任までで大統領批判とはならなかったが、それが変わってきた。「国民の批判がプーチン大統領に向けられてきた」というのだ。これまでアンタッチャブルな存在だったプーチン氏は国民の批判対象となってきたことで危機感を感じ出している。今回の件では、一旦手を挙げたら、いつその手を下すかでプーチン氏も苦慮せざるを得ないだろう。

なお、ウクライナ問題はクリミア半島の併合だけではない。キエフのEU加盟問題もあるから、ロシアとの関係正常化は並大抵ではない。また、ウクライナでは最大の少数民族ロシア人のプレゼンスは現実だ。例えば、ポロシェンコ大統領の息子の嫁はロシア人女性であり、クリムキン外相の義父もロシア人、といった具合だ。

参考までに、ウクライナ生まれの帝政ロシアの画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの作品に「ケルチの眺め」という1839年の作品がある。アイヴァゾフスキーは海洋画家と呼ばれ海を題材とした作品を多く残した。その一つは「ケルチの眺め」で、アゾフ海(内海)と黒海を挟んだケルチ海峡の風景だ。両岸に住む人々は波の音を聞きながら久しく共存してきた。そのケルチ海峡を挟んでウクライナとロシア両国がいがみ合い、罵りあっているのだ。

ウクライナ生まれの帝政ロシアの画家イヴァン・アイヴァゾフスキーの絵「ケルチの眺め」1839年の作品


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。