真珠湾攻撃の日に改めて考える「情報」の重要性 --- 石川 了

2018年12月08日 06:00

12月8日という日がまたやって来た。77年前、日本がハワイオアフ島の真珠湾を攻撃して日米戦が開始されたが、(この戦略を含め)その後も愚策を重ねる当時の日本を「情報」の視点から考えてみた。

日本の攻撃を受けた米軍艦(米海軍公式写真より:編集部)

1.「情報」を無視した開戦

「総力戦研究所」という組織があった。この組織は国防の研究を目的に、1940年10月に各官庁・陸海軍・民間から若手エリートたちを選抜して、内閣の直轄組織として作られた組織だ。その組織で1941年7月に軍事、外交、経済等の各局面での具体的な事項について各種データを基に分析し、「日米戦争」の展開を研究予測した。

そして「総力戦研究所」は、『開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。よって戦争は不可能』という「日本必敗」の結論を導き出した。この机上演習は結果的におそるべき的中率で、「真珠湾攻撃と原爆投下」を除いて、ほとんどあたっていた。日米開戦の5ヶ月前に日本が必ず負けると予測していたのだ。

しかし、このレポートは8月に首相官邸において関係大臣、政府高官の前で報告されたが、「あくまでも机上の演習」という理由で陸相に握りつぶされてしまう。

机上演習といえば、その9ヶ月後、日米戦の転機と言われたミッドウェー海戦においても同じようなことが起こる。ミッドウェー海戦の図上演習で、ミッドウェー島攻略作戦の最中に米空母部隊が出現し艦隊戦闘が行われ、日本の空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となったが、演習をやり直し被害を減らして続行させた。空母加賀、赤城は爆弾9発命中判定で沈没判定となったが、宇垣纏連合艦隊参謀長は「9発命中を3発」に修正させ、赤城を復活させた。

100%負けると出ていた重要な「情報」を無視して開戦し、日米戦の転機となった重要な戦いでも同様の「情報」をないがしろにしてしまった。

2.根本的重要「情報」を見誤った外交

ルーズベルト大統領が日本を刺激し続け、最初の一撃(結果としての真珠湾攻撃)を日本に撃たせて、日米戦に引きずり込んだこと。さらに、ルーズベルトは最初の一撃を日本が撃つことを事前に知っていたことは、下記の事項等からほぼ事実ではないかと考えられる。

◎ノルマンディー上陸作戦を計画したことで有名な、陸軍省の戦争計画部門の責任者だったアルバート・ウェデマイヤー元大将が戦後出した回想録(1)には

「真珠湾攻撃はアメリカによって計画的に挑発されたものである」

「ルーズベルトが日本に最後通牒を突きつけて、なんとか参戦させようとしていた」

と書かれている。

◎ルーズベルトの前の大統領であるフーバーの回顧録とも言える「裏切られた自由」を読み解いた渡辺惣樹氏の「誰が第二次世界大戦を起こしたのか」(2)には、こう書かれている。

「日本というガラガラヘビに我が国政府がしつこくちょっかいを出し、その結果ヘビが我々に咬みついたんだということを知っている」

「彼ら(ルーズベルトら)は戦争になる可能性をよくわかっていた。それにもかかわらずハワイの司令官に伝えようとしなかった。その情報を明確に遅滞なく日本の一撃が加えられる可能性のある現場に伝えようとしなかった、とフーバーがルーズベルトを批判していた」

しかし、当時の日本はコミンテルンに支配されていたルーズベルト政権が戦争を仕掛けているという重要「情報」を入手できずに外交を続け、結果アメリカの思うつぼとなる。アメリカが無理に戦争を仕掛けていると分かっていれば、アメリカを無視し開戦をしかけず、石油のあるオランダ領インドネシアを攻める等の手もあった。

情報とは、「ある物事の事情についての知らせ。それを通して何らかの知識が得られるようなもの」とある。信長は桶狭間の戦いで今川義元の首をあげた者よりも、義元の居場所の「情報」を持ってきた簗田政綱を最大の功労者とした。450年前からも重要視されていた勝敗を決することになる「情報」は、当然のことながら今後の外交戦略ではさらに重要になる。

(1)「二次大戦に勝者なし<ウェデマイヤー回想録> 」アルバート・ウェデマイヤー氏(講談社学術文庫)

(2)「誰が第二次世界大戦を起こしたのか<フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く>」渡辺惣樹氏(草思社)

石川 了(いしかわ とおる)58歳  宅地建物取引士
1982年中央大学卒業、NTT入社。退職後、不動産投資業を営む

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