EUは生き残れるのか?

岡本 裕明

バンクーバーには日系のNPO(非営利団体)がびっくりするほどあり、経済関係だけでも10団体を数えます。これらのうち、せめていくつかでもまとめたらどうか、という話は少なくともこの15年、消えては浮かび…を繰り返してきました。

そんな中、私が打ち出した案はジャパンクラブ構想でした。各団体はクラブメンバーでそれぞれが今まで通りの活動をするが、情報交換、外部への窓口、取りまとめをするもう一つの顔を作るというものでした。幸いにしてこの案を様々な人を交えて数年かけて実行するため形づくりを行い、私は現在、議長という名の幹事役として取りまとめに奔走しています。

それまでにあったNPOの合併構想をなぜ推し進めなかったかといえばNPOほど創設者の意図が強く残るものはなく、コストカットなどを通じて利益率向上を目指す企業の合併と違い、ポリシーの折り合いがしにくい、というのが私が結論付けた合併困難論であります。

Theophilos Papadopoulos/flickr:編集部

EUをNPOと比較するのは無理があるとしても歴史と民族を乗り越える輪は縛りが緩く、かつ「可変的」である方があとあと様々なメリットはあると思います。つまり所属することに苦しみを感じないことが重要だと思うのです。ところがEUの理念は「人間の尊厳に対する敬意、自由、民主主義、平等、法の支配、マイノリティに属する権利を含む人権の尊重という価値観」という崇高なものであり、これを追求すればどこまでも縛り上げることができる危険な罠があることも事実です。

EUの歴史を見ても1951年の欧州石炭共同体に端を発し、それから「縛り」をどんどん増やし、現在の形に至っています。ところが、ご記憶にある通り、ギリシャ問題やPIIGSの問題などが生じた時、国家はバラバラなのに通貨は一つとか、国力調整機能がないなどの構造的問題を指摘され、挙句の果てにドイツを中心とする北部ヨーロッパ主導の厳格なルールの適用に対し、南部ヨーロッパ諸国との民族的、思想的相違が明白に出てしまいました。

もちろん、それでもEUに加盟したいとする国家は後を絶たないわけでたとえ苦しくてもEU加盟へのメリットは大きいと判断しているのでしょう。

今回のフランスにおける終わりなきデモとマクロン大統領の歴史的不支持率が物語るものはマクロン大統領のEU崇拝と擁護に伴う規律の達成が国民の反発を招いた、ということだと考えています。具体的にはEUの規範は財政赤字がGDP比3.0%、それに対して2019年のフランスは3.2%になりそうでこれ以上の赤字増大は許せず、様々な抑制策が必要だ、だから増税も必要だ、という思想でありました。これが猛烈な反発を招きます。「マクロン大統領はEUと国民、どちらを向いて仕事をしているのか」と。端的に行ってしまえば国民の怒りとは「いい顔するな」ということかと思います。

EUをめぐる問題はここにきてより深刻になってきた気がします。英国の行方はいまだわかりません。こちらは国内問題の方が原因かもしれませんが英国の離脱はEUにとっては芳しくないことは事実です。それは欧州の大国であると同時に「脱退」という事実を作るからであります。欧州各国で盛り上がりつつある極右政党はEUではなくより自国のメリットを考えます。

ではEUは生き残れるのか、ですが、EUそのものの存在価値とその影響力はそれでも重要なはずです。ならば縛りを緩めるとか、縛り方を変えて、規律をやや見直すなど多少のフレキシビリティを持たせたらどうでしょうか?世の中の価値観、判断基準は時代とともに大きく変わります。10年、20年もすれば世の中の常識すら変わります。それをうまく取り入れてこそ、世界の中でより強い影響力を持ち続けられる共同体というものではないでしょうか?

EUは生き残れるか、というより生き残るために変わらねばならない、私はそう考えています。EUを巡る加盟国各国の問題とはEUそのものの組織にあると私は考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2018年12月18日の記事より転載させていただきました。