私がALSになって、妻の食に対するぼやきとは?

私と直接の付き合いがない方は、学歴と職歴を見て、さぞやハイソな人なんだろうなというイメージを持たれるようです。しかしその実態は、お菓子大好き、ジャンクフード大好き、ラーメン大好きなど庶民です。

田舎の農家に生まれた私は、親の「米だけはいくらでも食え!」という言葉通り、母の作るごはんの進む料理をおかずに、ひたすらおかわりをしていました。大学時代も、朝米を三合炊いて、半分をタッパーに入れて学食でおかずだけ頼んで食べ、残りは夜にチャーハンでも作って食べていました。ブロッコリーとカリフラワー以外に決定的に嫌いなものはなく、とにかく質より量を求めていました。満腹こそが幸福でした。

しかし、そんな私の食文化に、大学時代から付き合っている妻が、新たな息吹を吹き込みます。妻は私をパン屋さんやパスタ屋さんに連れて行きました。これらのものは、ごはんものと比べて量/値段が高いと思い、敬遠してきたものでした。でも、食べてみると美味いのです(笑) 妻とは、お互いの食文化に影響を与え合ってきました。

また、社会人になって、自分で稼ぐようになると、食への価値観も変わってきました。

仲の良い同僚と勇気を出して入った回らないお寿司屋さん、あまりの美味さに感動して、常連になりました。

とあるうるう年の2/29に、大阪のリッツ・カールトンで、4年間で人気のあったメニューを集めたコースを食べに、結婚記念日のお祝いに妻と行きました。これ以上ない贅沢な空間でした。

このように、質より量と言ってはばから無かった私が、質を求め出したのです。私にとって稼ぐとは、たまの贅沢を躊躇なく出来ること、も含まれていました。

一方、私は銀座の高級寿司店に1人でランチを食べに行ったことがあります。確かに美味いのですが、何か足りないのです。つまり、『好きな人や気の合う仲間と、同じものを食べて美味さを共有することで、美味さは何倍にもなる』ということです。

私のALSが進行する過程で、妻は気道と食道を分離することをすすめてきました。分離すれば、喉の筋力が衰えても間違って食べ物が気道に落ちることはなく、安心して口に食べ物を入れられます。妻は何度も「1人で食べてもつまんない。」とボヤいていました。

この8月に、分離の手術をして、10月に退院しました。液体やペーストのものなら問題なく食べられるようになりました。この間は、娘の誕生日祝いのモンブランのクリームを、家族と一緒に食べました。超美味かったです。

ALSは味覚には何の影響もない病気です。私はこれからも、私なりの食文化を楽しみたいと思います。


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2018年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。