主要政策としての「情報公開」の限界

2018年12月26日 06:00

2016年の都知事選以来、小池都知事、都民ファースト、音喜多新党(あたらしい党)、と立て続けに政策の主な柱に「情報公開の徹底」を挙げる動きが続いている。

多くの人が情報を隠すことは何か悪いことをやっている証拠だから、情報公開を徹底することにより健全な政治および行政がおこなえると考えているだろう。

小池・音喜多両氏のFacebookより:編集部

一般的に有権者は「情報公開を徹底する」という候補者や政党に清廉な改革者としてのイメージを抱くのではないだろうか。

とくに新しい候補者や政党であれば過去の実績がないため「清廉な改革者」などのポジティブな印象からくる「期待感」で投票してもらうため、イメージ戦略・マーケティング戦略上とても重要である。

しかし都知事選以来2年の時がたち、「情報公開」をうたった政治家たちの足跡を見ると「情報公開の徹底」という政策は私たちの期待に応えられていないことが明らかになってきた。

「情報公開」をうったえる政治家は多くの場合、「情報公開」を「政治的な対立相手」に要求することから始める。攻撃の手段としての「情報公開請求」である。

薬害エイズ問題のときに当時厚生相の菅直人氏が役人の責任追及をおこなったことや、都知事選出馬時における小池百合子氏が都連の候補者選定プロセスに異議を唱えたこと、音喜多都議が舛添都知事の資金問題を追及した構図などがその例である。

対立相手の過去の瑕疵に関する責任を追及するのは政治の世界では普通のことである。しかし「政局に強い政治家」は、行政において必要とされている利用者や納税者に対する「情報公開」と政治的対立における情報戦をわざと混同して「情報公開の徹底が改革に必要」と訴えることで世論を味方につける術に長けている。

情報公開が行政や政治家に対する監視の目を強化し、不法行為を働かないように牽制する機能があるのは確かである。また不法でないが不適切な行為というのもこの情報公開によって断罪されるので、有権者にとっては選挙の際などに参考にもなる。

情報公開が一定のメリットを有しているのは確かである。しかし情報公開は政治や行政をより良くする牽制機能はあるが、あくまで「手段」でありそれ自体を「目的」となるのだろうか?

主要政策とは政党にとっての目指すべき社会像があった上で、それを実現するための政策であるべきだろう。

「情報公開がより進んだ社会」というのは「人々がより豊かな社会、より安心して暮らせる社会、平等に機会が与えられる社会、自由に生きられる社会」というような「それ自体が人々の幸せに直結する」目標とは明らかに違う。それは監視する側がより監視しやすくなる社会であり、監視される側は法律やルールで定められている以上の不特定多数が所持する様々なモラルに即して仕事をしなければ非難される社会である。

「良い社会」に向けて「良い政治家や役人がいる社会」の構築に貢献するのが「情報公開」の概念である。「主要政策は情報公開」というのはそもそも手段と目的を混同しているのである。

その上で「情報公開」を訴える政治家のその後の言動を見ていると、「監視する側」にいるときは威勢良く情報公開を訴えている割に、「監視される側、都合の悪い情報の公開を要求される側」になった途端言葉をはぐらかしたり、うやむやにする。

また最近良く見られる傾向がブログやらネットでの発信を「情報公開」と位置付ける動きだ。政治家による発信は多くの場合は自身の活動報告であり、それはすなわち己の実績の宣伝である。それはそれで有意義なことである。活動報告などがなければ次の選挙において判断する基準である「議員としての実績」を知ることが難しい。「情報提供」の意義は確かにあるであろう。しかし「情報公開」とは監視される側が自分の都合の良い情報を選んで発信することではない。一定の基準に則して情報を強制的に開示させることなのである。

ネットに限らず、自分の政治活動の報告を頻繁におこなう議員には尊敬の念を抱く。選挙に勝たなければ議員を続けられないのだから、選挙を意識して日々自分自身を宣伝する努力は政治家として見習うべき姿勢である。毎日駅頭で挨拶するのもしかり、定期的にブログで活動報告することしかり、ミニ集会で活動報告することもしかり。これらは政治家として素晴らしい姿勢である。

しかしコマーシャルは「情報公開」ではない。企業は(最近日産のゴーン前会長の件でも出てきた「有価証券報告書」などで)決められた項目に関して定期的に「情報開示」をすることが求められている。それこそ載せたくない情報でも載せなくてはならない決まりである。それに対してCMを出すことや商品のプロモーションをおこなうことは、企業努力であり販売促進努力であり、それはそれで重要な仕事ではあるのだが、「我が社は多数のCMを流しているので、情報公開に積極的です」などとは言えないのである。

CMと同様に政治家による「情報発信」もより多くの人に自分を知ってもらい、自己のイメージを向上させることが主な目的である。

本来、行政における情報公開は地味であるが大切な政策である。これがなければマスコミや市民団体が行政に対する必要なチェック機能を果たすことはできない。また地方議員としても必要な情報が行政側から提供されなければ二元代表制によって付託されている責務が果たせなくなる。

しかし「情報公開」を政局に利用したり、政治的宣伝を「情報公開」と称したり、「情報公開」という言葉のイメージで清廉さをアピールすることに利用したりするような政治家が跋扈し始めると「主要政策として情報公開の徹底を目指す」という姿勢にも疑問を感じざるをえない。

多くの政治家が過去にその時々の流行りの「言葉」をむやみに消費して、精緻な政策議論から逸脱して、政策としての意味を失わせ結局は政党・政治家としての芯の無さを露呈してきた。残念ながら「情報公開」に関してもこれらの「政治家による言葉の消費」という歴史が繰り返されているようである。


編集部より:このブログは与謝野信氏の公式ブログ 2018年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、与謝野信ブログをご覧ください。

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与謝野 信
ロスジェネ支援団体「パラダイムシフト」代表

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