カンボジアの今とIT事情① ~ 政治の原点回帰

2019年01月02日 06:00

30年ぶりにカンボジアの地に降り立ちました。30年前、ポルポトと政府軍であるヘン・サムリン政権が内戦をしていた時代に、ベトナム航空のチャーター機でプノンペン空港に降り立って以来です。つまりそれは、1991年カンボジア和平協定に基づいて、UNTAC(United Nation Transitional Authority in Cambodia)国連カンボジア暫定統治機構(特別代表:明石康)が、カンボジアに入る前の内戦状態時にプノンペンに行ったということです。

(アンコールワットの日の出)

プノンペン空港に到着し、機内を出て、タラップを降りようと1歩踏み出した瞬間、目に焼き付いたのは戦闘用ヘリコプター、戦車、ジープ等の戦争用装備品の数々だったのです。正に映画のワンシーンを見るようでした。国会議員秘書になって3年、まさか内戦状態にある国に行くことになるとは、思ってもみませんでした。内戦が終ったら、どのような分野にODAを入れる必要があるのか、日本企業の進出に必要なネットワークを如何に確保するのか、事前の事前の調査に来たのです。

プノンペンとシェムリアップ(アンコールワット)を調査する予定で、ベトナム航空をチャーターし、先ずはプノンペンに入りました。チャーター機だったにも関わらず、スーツケースをハノイ空港に忘れてこられ、パスポートとお財布だけの着の身着のままの状態でのプノンペンでした。

ホテルカンボジアーナにチェックインを済ませて、先ずやったことは、市場に行って洋服とノート、使い捨てカメラを購入する事でした。当時のプノンペンは政府軍がおさえており、戦場の中心はシェムリアップ方面になっていました。それでも、いつミサイルが飛んでくるかと心配しながら、20時なると戒厳令が引かれ、外出禁止となっていました。

プノンペンの調査が終わると次はシェムリアップ。しかし、前日の夜、ベトナム航空のパイロットが、「シェムリアップには行きたくない。あそこに行ったら飛行機が撃ち落される」と言い出したのです。「シェムリアップに行くまでのチャーター代を払っているではないか。行かないのはおかしい」、「会社に払ったとしても、僕は行きたくないし、死にたくない」と、何時間も交渉しましたが、結局、シェムリアップには行けないことになったのです。もし、行っていたら、飛行機が撃ち落されていたかもしれないし、調査している時に、ポルポト軍にさらわれ、拷問を受け、処刑されていたかもしれません。殺戮の場であるキーリングフィールド、拷問の場である刑務所、今回、訪問して頭をよぎったのは、外国人も例外でなかった事実に・・・。

ここが、僕の人生の大きな節目の1つであったと思います。ベトナム航空パイロットによって、そして何より神様によって、生かされたと言っても過言ではありません。戦争は本当に怖い、だから絶対に戦争はしてはいけない。勇ましいとこを言う国会議員もいるけれど、何とも言えない不安感が付きまとう生活に国民を巻き込んでは絶対にいけない。僕の政治家として原点はカンボジアにあったのです。化石燃料の権益を奪い合うという争いの終止符を打ち、世界平和をもたらす為に、水素エネルギー政策を推し進め、世界中に語りかけてきたのです。

(樹木に飲み込まれるアンコールワット)

あれから30年、シェムリアップもプノンペンも大きく変化したいうよりも、全く異なる国になっていたという方が正しいかもしれません。地雷が取り除かれ、アンコールワットの修復が始まり、大きな飛行場、高層ビル、自動車、イオンモール、今あるカンボジアの風景です。ただ、30年前と何も変わらないのは、全てを飲み込む日の出の風景です。内戦で街が崩壊し、国民の心が折れていた時代も、発展を遂げようとするエネルギーに満ちた時代も、ホテルカンボジア―ナで見る太陽はいつも同じなのです。「政治は太陽のようでなくてはいけない。誰しもに公平に陽が当たるように」僕の政治の原点を再確認できたカンボジアでした。

30年前、帰国に際してカンボジア人からもらった、アンコールワットで拾ったという昔の硬貨を今でも大切に持っています。それは、僕の政治そのものだからです。


編集部より:この記事は元内閣府副大臣、前衆議院議員、福田峰之氏のブログ 2019年1月1日の記事を転載しました。オリジナル記事をお読みになりたい方は、福田峰之オフィシャルブログ「政治の時間」をご覧ください。

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福田 峰之
多摩大学客員教授、前内閣府副大臣、前衆議院議員

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