ゴーン被告の経営モラルの欠落は明白

中村 仁

権力者に必要な社会的責任

日産の前会長、ゴーン被告が会社法違反(特別背任)などの罪で追起訴されました。報道されている情報が事実とすれば、会社の私物化としか言いようのない行為の数々は、法的には今後の捜査、裁判の行方を待つとしても、経営モラルの欠落は否定しがたいと思います。

日産サイトより:編集部

刑事事件ですから、ゴーン被告を有罪に持ち込めるかどうかという法的議論が不可欠な課題であるにしても、被告の擁護派、検察特捜部の批判派の人たちは、経営モラルの欠落を指摘しようとはしていません。「一般社員ならば、就業規則(内規)に従って、とっくに懲戒解雇などの厳しい制裁を受けているはずなのに」と思っている人は多いのではないですか。

一方、社会的に高い地位にある人には「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる義務)が求められるというのが不文律になっています。世界有数の巨大な自動車メーカーのトップともなれば、その対象者でしょう。語源はゴーン被告の国籍でもあるフランスの言語だそうです。「権力者らは社会の模範となるよう振る舞うべきだ」という解釈でしょうか。

ノブレス・オブリージュからの逸脱

日経新聞の定期コラム「大機小機」が(1/10)この問題を取り上げ、「ゴーン元会長の事件の本質は法的議論とは別にあり、ノブレス・オブリージュから次第に逸脱した結果と思われる」と、指摘しました。さらに「長い目では、無私の精神と人間的魅力を備えた経営トップの企業がイノベーションを起こし、繁栄を続けている」とも、主張しています。

同感です。私もブログで「問うべきはゴーンの経営モラルの全体像」(12/21)、「違法性より倫理の欠如でゴーンは失格」(12/2)と書きました。裁判でかりに無罪になったとしても、日産の再建で絶大な手腕を発揮した名経営者が金銭欲の虜となってしまい、「経営者として失格」との結論です。

従業員は不正、ルール違反があると、制裁を受けます。社員を対象にした就業規則があり、こと細かに処分が決められています。主として正社員を対象とし、使用者側にある役員は含まれません。その代わり役員は会社法の「善管注意義務」(善良なる管理者の注意義務)の対象となり、「取締役は法令、定款、株主総会の決議を順守する」などとしています。

具体的には「法令に違反する行為をしてはならない」、「経営判断の失敗で会社に損害を与えてはならない」、「社会的、経済的地位において、一般的に要求されるレベルの注意義務が課される」などです。目指す方向はノブレス・オブリージュと同じでしょう。

連日の事件報道のうち、「事実かどうか分からない」、「事実としても違法性を問えるか疑問」というのも少なくないでしょう。情報源は検察、日産側、守る方は被告の弁護士らで、真っ向から対立しているものばかりですから、外野席からみていると、真偽のほど、違法性の程度が分かりません。責める側は犯罪的行為を明るみに出して有罪にもっていきたいし、守る側は「その通りです」といいません。

なぜこんなことをしたか

有罪か無罪かは法廷が判断することではあっても、経営モラルの視点からすると、看過できない。「日産、三菱自の統括会社は活動実態がないにもかかわらず、18年前半だけで被告に10億円。被告に報酬を支払うためのペーパー・カンパニー」(日産幹部の証言)はその一端です。

16憶円を送金した先のサウジの実業家の会社は、「日産と業務上の関係はなかった。関係部署の承認も経ていない。被告から突然の指示がきた」との中東日産元幹部の証言も報道されました。まさか日産側が虚偽の証言をするとは思えないと考えるのが筋でしょう。

被告の側近だったルノー副社長に「3社連合の統括会社が5年間に非公表の6000万円を支払った。支給を認める書類に被告自筆のサインがあった。統括会社の役員だった西川社長は報酬を受け取っていない」(3社連合の関係者)。

この種の報道が数多く、わざわざ日産側がねつ造したと、想像するのも難しい。普通の社員ならとっくに処分を受けているはずの不透明な行為は、被告側の会社の私物化、ガバナンス(企業統治)の軽視、経営者として失格を示す材料でしょう。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2019年1月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。