なぜ「予言」は時に外れるのか

2019年01月13日 11:30

このコラム欄で紹介したブルガリアの予言者ババ・ヴァンガ「2019年の予言」は結構反響があった。まだ起きていないことを前もって語ることは通常、難しい。昔から「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言われたが、その通りかもしれない。ただ、いつの時代も「予言」がズバリ当たれば、人は驚き、その予言を語った人物は一躍有名になる。

ミケランジェロの「最後の審判」

現代はIT技術の発展の恩恵を受け、ビッグデータを駆使して今年の経済の動向を予測する学者が多い。彼らの場合、通常「予言者」とはいわない。「経済専門家の国民経済の見通し」と呼ばれる。経済専門家の予測はその年の終わり頃にはその是非が判断できる。「先生の経済予測は見事に当たりましたね」と称賛されるか、「先生、全く外れましたよ」と言われ、酷評されるかだ。

もちろん「通常の経済専門家」は自身の予測が「当たった」とか「外れた」という表現で評価されることに抵抗を覚えるだろう。「俺は予言者ではない。確実なデータを分析したうえでの予測だ」と主張する。ただし、当たらなかった経済学者の場合、ちょっと弁明が苦しい。データを駆使して予測したにもかかわらず、間違っていたからだ。データ・プログラミングにミスがあったのかもしれない。

しかし、「予言」や「経済予測」には必ず当たり外れがある。ババ・ヴァンガの場合、予言の的中率は約80%だったという。その数字は凄いが、それでも約20%は外れたわけだ。予言が100%当たった預言者を当方は知らない。「ノストラダムスの予言」から「ファテイマの予言」、「マヤの暦」などをみても当たっている部分と大外れの場合がある。

ところで、世界最大のベストセラー「聖書」には多数の預言者が現れ、数多くの予言を伝えている。興味深い点は、神が預言したものでも当たり、外れがあることだ。こんなことを書けば「神学の基本的知識が疑われる」といわれるかもしれないが、実際にある。「イエスはユダヤ人の王となり、滅びることのない王国を地上に建設される」(イザヤ書9章)という預言と、「彼は多くの人々から迫害される」(イザヤ書53章)という2通りの全く異なった預言があるのだ。それも「前者の神」と「後者の神」は同一なのだ。

聖書を読み出す人は神が分からなくなることが少なくない。「イエスの降臨」に関する預言などはその典型的な例だ。「神は精神分裂症か」と叫び出す人も出てくるかもしれない。そのため、聖書の中の矛盾を理解しやすくするために神学者はさまざまな解釈を試みてきたわけだ。CNNのようにファクトチェックするとすれば、イエスは十字架で殺されたから、「イエス降臨」の預言では後者の予言が当たり、前者は今風にいえばフェイクニュースだったということになる。

ババ・ヴァンガは「西暦2288年にはタイムトラベルが可能になる」と予言した。この予言はある意味で予言者の自殺宣言だ。通常の人々が未来にトラベルに行けるようになれば、予言者は仕事を失ったしまう。

ちなみに、「相対性理論」を考え出したアインシュタインは「理論的にはタイムトラベルは可能だ」と語ったという。ただし、「『未来』にトラベルすることは可能かもしれないが、「過去」に戻ることは難しいだろう」と述べたという。

それでは今回のコラムのテーマ、「なぜ予言の中には外れることがあるのか」に戻る。「予言」はまだ起きていないことを前もって語ることだ。すなわち、予言内容はまだ起きていないから、変えることは可能だという論理が成り立つ。アインシュタインが「過去」には行けないが、「未来」への旅は理論的には可能だといった発言にも繋がる。「過去」は既に起きてしまった世界だが、「未来」はまだ起きていないから、人間はその未来を変えることができるからだ。

人はある一定の制限された枠組みの中で誕生する。遺伝子がそれだ。生まれた時から神童といわれる子供がいる一方、障害を持って生まれてくる子供もいる。知性だけではなく、体力でも同じだ。全ての新生児は同じ条件で生まれてはこない。生まれた瞬間から不公平な環境圏にいる。人間が平等なのはその価値であって、位置や遺伝子は異なっている。その不平等な生活圏に生きる人間が努力し、自身の能力を向上させて大成功する人がいる。サクセスストーリーは多くはこの種類のドラマだ。

予言者は前もって語るが、それが当たるか外れるかは人間の責任領域に入る。ジャン・カルヴァンの「完全予定説」ではない。奴隷に生まれた人間が大統領にもなれる一方、最高の家庭環境で生まれたが、大悪人になってしまうことも考えられる。予言者は“一定の枠組み”を見てこれから起きることを前もって語るが、100%実際に起きる保証はない。「未来」は変えられるからだ。だから、100%予言が的中した予言者はこれまで出てこなかったわけだ。

イエスをメシアと考え、彼の降臨を歓迎するか、イエスはユダヤ社会の破壊者だと受け取り、十字架に送るかは、選民だったユダヤ民族が当時決定しなければならない課題だった。神はユダヤ民族に強制することはできなかった。だから、イエス降臨に関する預言も2通りとならざるを得なかったわけだ。

「人生はドラマだ」といわれるのは、人間が自身を開拓・啓蒙できる余地を持っているからだ。全てが前もって定められていた場合、人間にドラマはあり得ない。

最後に、海外中国メディア「大紀元」によると、「逢九必乱」と呼ばれ、末尾に「9」が付く年には必ず波乱が生じるという。「中国当局は、国内では経済の減速、失業者の増加、社会不安の拡大など深刻な問題を抱えているほか、国外では昨年に続き、通商貿易やハイテク技術、軍事などの分野で米国・同盟国と中国との対立がさらに深まるとみられる。このため、複数の中国人学者は今年、中国の社会情勢に大きな変化が訪れるとの見方を示した」(「大紀元日本語版1月9日)という。

この予言が的中するかどうかは、中国国民、厳密にいえば中国共産党政権の対応如何にかかわってくる。今年末に「逢九必乱」の予言が的中したかどうか、読者の皆さんと共にチェックしてみたい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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